翔海

恋は光の翔海のレビュー・感想・評価

恋は光(2022年製作の映画)
3.7
誰しもが恋を知っているようで知らない。

大学生の西条には悩みがあった。それは恋をしている女性が光を放ってキラキラ輝いて視えることである。西条の悩みを知っているのは幼なじみの北代だけであった。ある日、西条は講義中に手帳を拾う。その持ち主の東雲は西条と同じくらい小説の好きな女性であった。次第に東雲のことが気になり始めた西条は北代に頼んで東雲を紹介してもらうことに。けれど、東雲は俗世の物をあまり持たない浮世離れしている性格のため西条は交換日記をしようと提案する。似てる性格の二人は次第に恋の定義について語ることが増えてくる。それを傍から見ていた宿木は人の恋人のことを好きになる癖があり、西条のことも気になっていた。積極的な宿木は二人の交換日記に加わることにそれを良しと思っていない北代もメンバーに加わる。皆それぞれに恋とはを解くが正しい答えなどない。それでも明確な答えを探す西条は恋を解くことができるのであろうか。

filmarks試写会
渋谷のユーロライブで行われた試写会に行ってきた。ユーロライブに行くのも初めてだったし、filmarksさんの試写会に当たったのはこれで二回目であった。前回の試写会はスニークプレビューの企画で観たギルティ以来だったので緊張しながらもたのしみにしていた。今作は原作漫画を少し読んだこともあり、面白い内容だと思っていたから試写会を見つけたときに興味本位で応募したところ偶然にも当たり見に行くことが出来た。普段の月曜日は仕事な私は半休を取って久しぶりの試写会に向かった。会場には思っていたよりも観客は多く同年代の人も多かったようにも思えた。ちなみに私は全身白の服を着て行ったので変に目立って居たかもしれない笑

恋とは答えの出ない問
この映画では恋を論理的に考える西条が自分の抱える悩みを通して恋を読み解いてゆく物語。恋と言っても多種多様に存在するものであり、本能のまま恋をする人から略奪こそ恋だと思う人までいる。だからこそ、恋とは永遠に語れるものだから面白い。物語が進むなかで西条が恋というものを東雲や北代、宿木と会話をして恋とはを知ってゆく。
ここからは私の話になりますが、
私もあまり恋のことを知らない。この作品の西条の心情が自分と重なることがある。西条ほど私は秀才でもないし、分析もできない。これまでに見てきた映画や自分のしてきた恋を元に自分の中の恋の定義を持っている。その恋愛も良いものばかりではない。ここ4年は恋人も居ない私は映画や人の恋の話を聞くことによってその欲求を満たしていたのかもしれない。作中で西条と東雲が階段で会話をするシーンで恋とは(自分に足りないものを埋めるためのものと考えることもできる。例えば、愛を欲している人は尽くしてくれる人を、共感を欲してる人は共通の趣味の人と恋をしたいのだろうか)みたいな台詞があって私には共感が持てたし、まさにその事だとも思えた。私は恐らく共感を欲しているのだと思う。映画や趣味を話して共感したいと思うし、似た価値観を持った人に惹かれるのが恋だとも私は思う。一括りに共感と言っても心情に寄り添う共感を求めている訳では無い、自分と同じくらいにその事を知っていて共感できることが本当の共感だと思っている。言わば、共感と言うよりも共有という表現のほうが近いのかもしれない。けれど、恋は共感が全てだとは思っていないのもまた事実。劇中で西条が恋とはただ逢いたくなったり触れたくなることと言っていたことも納得ができる。私もこんなに悩んで答えにたどり着いていないから恋とはなんなのであろうか分からない。こんな性格の私だからいつまでも恋ができないのだと分かっているが、なかなか変わることができない。そう思うと作中で西条に一番共感していたのは北代だと思う。北代のような友達の関係から恋になるパターンが私には一番合っているのかもしれない。反対に宿木嬢や東雲のような女性も魅力的ではある。特に東雲タイプの女性を好きになった過去が二度ある。似たタイプではあったが、掴みどころのない性格や一風変わった考えを持った女性であった。恋は順調だと思っていたが、私の想いが一方的だったのか恋は実ることはなかった。積極性のない自分は駆け引きが苦手であり、距離感の詰め方も下手なのであろう。こんな過去から恋に奥手なままの私にこの映画はかなり刺さる内容であった。
翔海

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