HicK

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのHicKのレビュー・感想・評価

4.6
《最高の自己啓発エンターテイメント》
 〜視野を広げ"開眼"せよ!〜

【飛ぶぞ】
異色なA24が放つ異色作。主人公エヴリンの忙しい日常生活とマルチバースのカオスがリンクする。演出面でも場面スイッチングの多さ、詰め込み放題のパロディー、そこに悪ノリのコメディーがぶち込まれ、忙しさMAX。国税局のオフィスから追い込まれた主婦が世界(とランドリー)を救う。このぶっ飛び具合、好き。

【飛ぶために、ぶっ飛ぶ監督たち】
良い意味でくだらないコメディーが満載。調べてみると監督の"ダニエルズ"は下ネタが好きらしく今作も多い。また、他ユニバースへ飛ぶためのトリガーとなる動作(通称"ジャンプ台")がおかしすぎてツボに入る。生死をかけた場面でも、遠くの世界へ飛ぶためにぶっ飛ぶほどヘンテコな行為をしなければならない。そんな彼らに終始ニヤニヤ。こういう感じなのかダニエルズって。親近感湧く 笑。手の間から覗くマルチバースって演出も好き。

【別世界がもたらす後悔・虚無】
マルチバースを通して自分に"起こりえた可能性"を沢山知ることになるエヴリン。潜在的な『無限の可能性』を見て「あの時、あぁしてれば、こうならずに済んだ」という後悔の連続が痛々しかった。その後は、マルチバースの側面である『なんでもアリだと全てがどうでもよくなる』(最近のMCUしかり)という虚無感も抱いてしまう展開で、ちょっと共感した。そんな"What If"を通して、自分や周りを見直していく展開は「ドクター・ストレンジ MoM」とも重なった。(だが、もっとマッドネス)。

【視野を広げる】
表面的なものに囚われ、身近で大切なモノと向き合おうとせずに、自身の後悔ばかりに支配されていくエヴリン。そんな「視野の狭さ」の面白い例として『"役立たずのソーセージの手"にしか目がいかず、実は○○が器用な事に気づかない』という独特な描写が好きだった。マルチバースを通して視野を広げ、思考の矢印が自身の事から大切な存在に向いた時に、優しさの大切さを学び、人生が向上していく。そんなテーマで結ばれていた。ひとつひとつ正していこうとするエヴリンに涙。まさかの感動作。

【ミシェルとあそぼ】
真面目そうなミシェル・ヨーの"やらされてる感・遊ばれてる感"が面白い。こんなにふざけてんの絶対ほかじゃ見れない 笑。ミシェル本人の映像も映ってるし 笑。カンフーは流石にカッコ良すぎて感動もの。全編通して色んなヨーが出ずっぱりで、これ結構撮影かかっただろうなぁ。

【他キャスト】
夫役のキー・ホイ・クァンを最後に見たのは「X-MEN」のメイキングでヒューにアクション指導してた時かな。21年から俳優復帰してたんだね。優しい人柄がピッタリだった。そして、今作で1番好きだったのは娘役のステファニー・スー!演技に釘付けになった。彼女のカオスさが楽しいうえに、時に泣かしにもくる。たぶんミシェル以上に演技の幅が求められた役柄。ちなみにラタトュイユならぬラカクーニの声はランディ・ニューマンらしい 笑。やば。

【ただ】
パロディーの多さが今作の独創性の邪魔になってるかもしれない。コメディーのシュールさは人を選ぶ。

【総括】
身近なテーマ性、キャッチーなエンタメ要素、おバカなコメディー、だけど独特の芸術性とカオスな展開。そして感動。フレンドリーさと尖り具合が絶妙なバランスで好きなテイストだった。とりわけ過去に囚われがちな自分にとっては「ありえた可能性と今の自分自身」というテーマが刺さり「それが刺さるのは今を直視していないだけ」というに近いお叱りが痛いほど胸に響いた。最高の自己啓発エンターテイメント。

己を知り、相手を理解し、親切に。優しさを持てば、視野が広がり"開眼"する!



以下ネタバレ↓























【ジョブ・トゥパキ】
「無限の可能性がありすぎて、全てどうでもいい」というジョブ・トゥパキと、「起こり得たステキな人生」を沢山見せられたエヴリンの虚無感に納得。特にエヴリンは別世界の自分全員が最高の人生に見えてしまっているので、どうしようもない後悔の連続に同情した。

そしてジョブに関しては、"このままジョイが見捨てられてしまったら…"という「起こりうる最悪な状況」のメタファーにも感じ、誰にも理解されず突き離され「もうどうでもいい」となる現実のジョイと重なった。そう考えると虚無感からのジョブの犯行は、なんとなく昨今の様々な犯罪者と重なってしまう。周囲に、そして社会に見離されて生まれる悪に近い。

【カオスを防ぐ"愛"】
後悔に囚われていたエヴリンが視野を広げるキッカケになったのは、優柔不断だと思っていた夫が実は優しさで満ち、いつも支えてくれていた存在だと知った時。そこから「自分」では無く「他者」に視線が向き、さらにその人を見る視点を変える事で全てが好転していく展開が好きだった。「手はソーセージでも足は器用」にも気づく。

同様に「思い通りに育たない娘(同性愛である娘)」も、エヴリン自身の若かりし頃の経験と照らし合わせて、その本質(人を愛する事)を理解してあげるという点にも繋がる。「自分を理解」に加えて「相手を理解」が加わる事で劇的に人生が変わっていく良い展開だった。

【改・母の愛】
最後、「見捨ててはいけなかった」と反省し娘を手放すまいとするが、「離してほしい、ほっといてほしい」という意思も尊重してあげたところに"相手に対しての理解・肯定"があり、ここがすごく良かった。

その最後のジョイとの決戦は、エヴリンの攻防ひとつひとつに娘への「ごめんなさい」が込められている気がして、涙。

【真・総括】
「無限の可能性」→「可能性を活かせなかった後悔」→「逆になんでもアリだとどうでもよくなる」→「でも、どうでもよくない愛する人たちの存在」→「そんな人たちと目指す"無限の可能性"」

キレイな帰結。総じて、このカオス、好き。
HicK

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