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すずめの戸締まりのシネラーのレビュー・感想・評価

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
5.0
新海誠監督の最新作を劇場鑑賞。
新海監督の作品を劇場鑑賞するのは
初めてであったが、
本作は映画館に赴いて良かったと
心底思う位に素晴らしく、
結末部分では涙が出てしまう作品だった。

物語としては、
宮崎で暮らす女子高生の岩戸鈴芽が、
"閉じ師"として災いの扉を閉める為に
日本を旅する宗像草太と出会い、
共に扉を閉める旅に出るという
ロードムービーとなっている。
扉が開く事でミミズが現れ、
ミミズが災い(地震)を発生させていくのだが、
それに伴う地震描写は
とても現実味を帯びており、
最終的にそれが東日本大震災の事柄に
直結していくだけに、
本作は鑑賞する人によっては
受け止められない位に
心抉られる作品ではあるだろう。
私自身は被災者ではないが、
震災から10年以上が経過して
当時の記憶も人によっては薄らぐ中、
震災の事を彗星でも天候にも置き換えず
に直接的に描写した事で、
とてもメッセージ性ある作品に
仕上がっていると感じられた。
何気ない日常で交わされる
「おはよう」、「行ってきます」、
「ただいま」、「おかえりなさい」
といった言葉を普通に言える事が
どれ程に尊い事なのかを痛感する
描かれ方だと思った。
結末自体も震災から年月が経過した
からこそのメッセージであり、
過去を振り返っての安易な言葉ではなく、
未来へ進めている事での優しさに
溢れる言葉だと思った。
ファンタジーの設定に関しても、
廃墟と化したその場所を想う設定が、
被災地を悼む事と重なっているように
感じられる部分だった。

こういった震災と絡めた作品の多くは、
個人的に悲しい感情が続いて残るものが
多いように思うが、
本作はそうではない事も良い点だと思った。
物語が悲しく暗くなる場面も当然あるが、
それ以上に人の温もりを感じさせる
コミカルな場面も多いので、
それが本作の好きな部分でもあった。
宮崎を舞台に物語が始まっていき、
愛媛、神戸、東京、そして東北へと
舞台が移り変わっていく中で、
特に愛媛や神戸で鈴芽達と出会う
優しい人々との交流は、
人と人との良縁を感じさせる場面だった。
物語中盤から終盤にかけては、
草太の友人である芹澤や
鈴芽の叔母である環が旅に加わるが、
そこでの芹澤のキャラクターは良かった。
鈴芽と環が心の内を吐き出してしまう
場面は重苦しくもあったが、
その後の自転車の場面での
「それだけじゃない」という言葉が
家族としての温かみを感じさせる台詞で、
涙腺が刺激される場面だった。

過去の新海監督作品と比べると、
一人称視点でのアングルや
椅子にされてしまった草太が
猫のダイジンを追いかける場面が素晴らしく、
視点やアクションを工夫しながら
美しい映像を描いていると思った。
題名が出る部分も、
とても作品の世界観の入りと終わりにも
合っていて良かった。
前作までの挿入歌を流しながらの
ダイジェスト場面というのも本作はなく、
鈴芽と草太の恋愛的な描写も少なめで、
そういった点も個人的に良い部分だった。
どちらかと言えば、
鈴芽と草太のバディ映画という印象の方
が恋愛よりも強かった。

鈴芽の出会う人々皆が心優しい点で
展開にご都合主義を感じたり、
そもそも鈴芽が引き起こしてしまった事
を自分で火消しをしたという考えも
過らない訳ではないが、
そこは私自身の解釈不足な部分があると思う。
大雑把にしか考察できないが、
本作は神に気に入られた一人の女の子が
神の導きのままに過去の自分を振り返り
成長する物語だったというのが、
物語全体への個人的な解釈だ。
劇中における神であるダイジンが、
鈴芽の向き合わなければいけなかった
扉を閉めるという事や巡り合う良縁も
全て仕組んでいるのではないかと
思えてしまう話運びだった。
又、ファンタジー映画の中で
3.11という現実を描くのは、
賛否両論となってしまう事を否めないが、
あえて仄めかす事もなく真剣に描いた
新海監督の姿勢は真摯だと思った。

過去のトラウマに蓋をして忘れるのは
決して悪い事ではなく、
生きるために必要な事ではあると思う。
しかし、
その過去が今の自分自身を
作っているのも事実だ。
だからこそ、過去を振り返る事での
大切さとそれに伴う成長を描く本作は、
あの日から今日まで頑張って
生きてきた人達を讃えてくれるような
優しさに溢れる映画だった。
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