歌代

生きる LIVINGの歌代のレビュー・感想・評価

生きる LIVING(2022年製作の映画)
3.3
死を目前にして"生きる"ことを模索する男。彼の遺したものとは。

役所に勤めるウィリアムは末期がんを患い、余命半年を宣告される。
生きながらにしてまるで生気のない彼は職場では陰で"ゾンビ"と揶揄されたり、家でも腫れ物扱いされている。
しかし、宣告を受けた翌日ウィリアムは会社を無断欠勤。貯金を引き出して遊びに挑戦する。
彼はいままで見失っていた"生きる"ということをやり直そうとするのだった…。

社会生活をしていくうちにいつのまにか薄れていく"生"の実感。
ウィリアムは今まで最低限しかしていなかった他者との関わりを見つめ直したり、やったことないことに挑戦します。
しかし、あまりうまくいかない。
余命宣告を受けたことは息子夫婦には話せず、"幸せな時間潰し"も見つからないまま会社を休み続け、時間はどんどん過ぎていく。

彼がどこに"生きる"を見出すのか。
何をきっかけに自分らしく"生きる"ことに向き合えるようになるのか。
地味なシナリオながら良いお話でした。

しかし、正直言ってこの映画における関係性の描き方は不十分に感じます。
序盤、役所に働き始める彼(名前忘れちゃった)の視点ではじまり、ウィリアムとの出会いが描かれます。
「出勤時は笑い話などは禁止」というルールや、別の車両になるウィリアムだったり、ウィリアムのすぐ後ろを歩いていけない、という暗黙のルールを押し付けられる流れに「このウィリアムはどんな厄介者なんだろう」と想像させられます。
でもいざ仕事の場面になっても、別に職場で人をうんざりさせるような仕事に対するストイックさがあるわけでもないし、めちゃくちゃ怖い人とかでもない。
その後、ウィリアムが帰宅したシークエンスでは息子夫婦から腫れ物扱いされていることがわかります。
けど、そこまで彼を怖れる理由がよくわからないのです。
すごく温厚な人だし、仕事以外興味なさそう展開みたいなイメージは持ってもみんなが勝手に腫れ物扱いしてる(言いたいことを言えないような"おそれ"の対象になるような人には全く見えないので)理由がよくわからないのです。
これは「ウィリアムに対す周囲」だけではなくて、どの人間関係をとっても関係性や人柄がいまいち見えてこないのに説明的にストーリーが進んでいくのでじんわりと納得できないまま映画が進んでいきました。
では、例えば高畑勲のような「人間は多面的である」という前提のもと、観てる側がキャラクターを一概に決めつけることができないような演出が施されているのか?
…多分そういう方針だったと思うのですがうまくいってるとは思えませんでした。
映画を観ながらずっと脚本の文章が見えてくるような感じで、そこに引っ張られててむしろダイジェスト感がありました。
この感情の流れを描くならあと1時間長くても良いんじゃないか?というのが僕の気持ちです。

国を変えるようなリメイクであっても1953年という戦後を舞台にしたのには理由があるのでしょうか?
人の生き方として「仕事」というのがかなり大きい軸になっていた時代というのが関係してるのかな、とは思ったのですが、レトロなルックにこだわったオープニングなどを意味として結びつけられなかったから教えてほしい…。
「これから古典的作品をやりますよ」っていう宣言だったのかな。
だとしたら黒澤明の原作映画は未見なので、どのような脚色をしたのかとても気になります。
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