ひゃー、これは難しい映画だわ。
と思ったのは、ストーリーとか解釈の問題ではないです。
音楽への愛と情熱は伝わるし、芸術家の人間像もわかりやすいです。
そこではなくて、物語としてこれでいいの?という思いです。
テーマが多角的な上にめちゃくちゃ矛盾があるんですよね。
ケイト・ブランシェットの役者としての技量はもとより、彼女自身が芸術家である事を見事に示していました。
今回の彼女はセクシー美女封印。メイクもほとんど控えめで、若づくりも全くしていません。
けれど所作や姿勢の美しさ、骨格の品の良さで充分ハンサム・ウーマンでした。
彼女の演技にはスタンディング・オベーションを送ります🎵
オケのリハーサルのシーンには特に魅了されます。楽の深い音、ケイトの指揮者ぶり、ポンポン飛び出す英語とドイツ語の指示はユーモアさえみせ熱量が半端で無い。
もっとみていたい。
本番も聴きたかった〜。欲求不満だわ😭
女性として初めてトップ楽団ベルリン・フィルのマエストロに就任。世界の最高峰の指揮者として君臨するリディア・ター。
人々は彼女の語る言葉に聞き惚れ、エモーショナルな指揮に憧れる。
リディアはその地位と多忙なビジネスによって、傲慢で尊大な人物になってしまった。
ように、描かれているということなんだろうけれど…私にはそう見えなかったんですよ。
そもそも偉大な芸術家とは、エネルギーが一般人より高いんですよ。そして平凡な日常生活を送るようにはできていない。
リディアの場合は自分の時間の多くを音楽に捧げているし(そうでなくては超一流にはなれないから)、彼女が愛する人も音楽の才能を持った人に限られる(ただし愛の対象は女性)。
つまり音楽しか愛せない人なんです。
長らく共に過ごしたパートナーなら、それを理解していても良さそうなものを。
何を今更…って感じ。
そもそも、心臓が…とか不安がらせていたのはあんたの方だろうに。
リディアがダメな人だというなら、芸術家でまともな常識人は誰?って聞きたい。権力を振るったというけれど、完全主義者がより良い音楽を求めただけでは無いの?
人事権は元々彼女の権限で、それを行使したから「横暴」って言うなら、最初から権限なんて与えなければいい話。
素晴らしい音楽家として尊敬しているなら、そんな彼女と一緒に仕事ができる事をこそ大切に思うはず。自分が一番になれないから彼女を恨んだり報復したりするなんて、そっちこそが人間の屑だと思う。
スキャンダルで失墜しても「ゼロからやり直し」って事はないでしょう?!
才能は嘘じゃないのだから。
この弁護士はバカなの?
真のファンとはそんなに冷たいはずがない。
彼女の周りは全員ただの取り巻きだったというの?
現代ではSNSが人間を葬り去る時代なのだと
それがテーマ?
映画のキーワードは「マーラーとバーンスタイン」
しかしユダヤ人という切り口はサラっと触れて飛ばされてる。
むしろバーンスタインはクラシック以外の音楽(ミュージカル)もやった人だよねって方が結論みたい。
バーンスタインはリディアの「師」であり、リディアの指揮のスタイルの原型で、子どもの頃、音楽を志すきっかけでもあった、メンターでした。
しかし人間的には結果的にバーンスタインとは真逆な生き方をしてしまった。
なので破綻した。
人間としてやり直しましょう。
えー!?そんなレベルの話?
のように感じて、納得いきません。
またこの映画は、ジェンダーを扱ってる割にあまり肯定的な感じを受けないんですよ。
女同士って厳しいよね。突き詰めて完全を求め過ぎだよね。って見える。
フランチェスカの裏切りも、顔に似合わず本当に汚い。
ソフィアだってわがままじゃなかったのかな?養女だって一緒に育てていたのではなかったのか?異性ならそもそも完全に分かり合えるわけないって「諦め」があるから、こうはならないと思う。結婚していれば離婚はこんな簡単に済まない訳だし。
トランスジェンダーとして登場したマックスも心が狭くてクソだった。
WhatsAppで噂話と悪口とか、女がやってる設定で、何?って思ったし。
リディアは女性である事を否定していない。
トランスジェンダーではないのだ。
レズビアンなだけ。
だけど養女のクラスメイトに対しては自分をパパと呼んでいる。
なんでここでは男なんだろう?
色々、女の面倒臭さが描かれているんだわ。
音楽映画じゃなかったのか…。
というか、権威とか、古い時代と現代の価値の相違とか、こういう事を描きたかったなら、クラシック音楽をテーマにしないで欲しかった。死んだ白人の音楽?数百年生き続ける音楽に向かってなんでそういう事いえる?
リディアは聴覚過敏という設定なのに
だからこそクラシックの一流オケの音が引き出せるのに
音楽ができるならばなんでもいいと、思えるわけがないのに。
指揮者は指揮台の上が居場所
世界のどこへでも旅をする
それは真実
エンターテイメントとしての音楽にも感動と価値はある。
それも真実
でも、リディアにあれ「モンハン」は、無いよね…
だって聴衆が…
ヘッドフォンしてオケ聴くのか…
と、どうしても思う私がいる。
芸術というものは表現者だけでは成り立たないのだ
優れた鑑賞者がいて初めて
その真価は姿を現す
違いますか?
だとしたら悲しいことにリディアはもう芸術家では無い。