レインウォッチャー

女子高生に殺されたいのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

女子高生に殺されたい(2022年製作の映画)
3.5
変態道は一日にして成らず。

美しい女子高生に殺されたい、という抑え切れない欲求に取り憑かれた男、東山(田中圭)。彼はその実現のため長年にわたり綿密な計画を立て、ついに高校教師としてある学園に現れる。

古屋兎丸氏による同題の漫画を原作とする作品だけれど、主要なキャラクターや物語の大枠としてはトレースしつつ、追加や改変も多く見られる。そして、そのエディットは奏功している割合が大きいと思う。ほとんど「女子高生に殺されたい ver.2.0」と言っても良いくらいじゃあないだろうか。

ひとつは、東山が誰に殺されたいのか?という「Who」について。
実は、原作では既に冒頭近くでそれが誰か、というのは明かされているのだ。一方、今作では原作よりも候補者となる女子を何名か増やして配置し、謎とすることで、Who is 誰?のミステリーとして中盤までの興味の持続を試みている。

このあたりは連載漫画と110分間の短期集中で見せる映画との違いをよく理解している故だと考えられるところで、良い着眼。
加えて、その分散が単なるトリックだけではなく、後半で展開される東山の計画にもちゃんと各人物が役割を持って絡んでくる、というのも技あり。観終わった後、わたしたちは全員の顔を覚えているだろう。

もう一点挙げるなら、東山の深堀りだろうか。田中圭がハマっているというのもあるけれど、原作より何段も魅力的な人物に見える。
殺したい、よりも殺されたい、のほうがよっぽど大変でややこしいわけで、ともすれば安直なサイコキャラをやらせすぎたりして「理解不能な変態」にしか見えなくなりそうなところ、少なくともその一点に対しては誰よりも誠実で実直という「正しい変態」像を作り上げていると思う。

細かい点だけれど、17歳という年齢にこだわる理由づけなどがそれを物語る。
18歳になると大人、17歳は大人になる直前の最も輝くとき…この考えはまるでユーミンの『14番目の月』のようで(※1)、理解できる/できない、許される/許されないは別として、確固たるロジックの積み上げが彼の中にあることを教えてくれる。
このあたりもまた原作にはなかったポイント(原作だと単に高三だと受験で忙しくなるから、とか)で、好ましい。

東山は、幼少期に実親に構われなかったというバックグラウンドが語られる。ある意味で「殺してやる!」という意志は相手に対する究極の関心なわけで、因果のリンクが示唆される部分だ。

しかし同時に、何かそれ以外の壮絶な不幸に見舞われたわけではなく、どちらかといえば平穏に育った、といったところがリアルでもある。
何もわかりやすい悲劇など必要とせず、ちょっとしたことで人のスイッチは入る。それが現代社会のルールやモラルと「たまたま」マッチするか・しないかだけの話である。

たとえば誰々が未成年と淫行で逮捕、みたいなニュースをきくたび、「人間って自分で自分の首を絞めて騒いでる、ヒマでお気楽な動物なんだなあ」とか思ってしまう。
生殖可能なコンディションになった異性に惹かれるのは大多数の動物において本来健康で正常なことなわけで、要するに近代以降のヒトは毎日毎日徹底的にわざわざ「無理をして」生きているといえる。
そんな根源的に歪さを抱えた世界においては、東山みたいにちょっとスイッチの入り方がズレる個体だっているだろうね、と思えるし、嫌悪感よりも生まれるフェイズを間違えたような、憐れみのほうを強く感じるのだ。

良く作られているぶん惜しく思うところも散見されて、真帆(南沙良)とあおい(河合優実)の関係性をもうちょっと台詞説明以外で描いてほしかったなとか、五月(大島優子)のカウンセラーとしての不自然さとか、せっかく劇中劇要素を入れるならもうちょい…とかあるのだけれど、まあ原作も特に緻密だったわけではないので仕方ないかしら。

2022年を代表する爽やか青春変態エンタメとしても良い作品だし、鮮烈な南沙良さんをはじめとする若手女優たちのまさに「今の青春」を焼き付けたアイドルムービー的な見方もできる秀作だ。

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※1:「つぎの夜から欠ける満月より / 14番目の月がいちばん好き」