もっちゃん

息子のまなざしのもっちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

息子のまなざし(2002年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

ダルデンヌ兄弟の作品を見るのは今作が初めてだが、まさにどストライクだった。抑制的で、比喩的で、かつリアリスティックな作風で素晴らしい。

ある工場で働くオリヴィエは昔、自らの子供を非行少年によって殺害された。作中では詳しくは言及されてはいないけれど、おそらくその影響からか妻と離婚している。そんな彼の職場にいつもと同じように新入りの少年が配属される。しかし、その少年こそが昔自分の子供を殺した本人だった。「加害者」と「被害者(および遺族)」との付き合い方、「赦し」をテーマ化したストーリー。

特徴的なのは超寄りで撮影された画面構成である。さらに固定カメラではないため、被写体が動くとともに画面も大きくぶれる。時には近すぎて表情を映すことなく、手元、胸元、足元といった部位に画面がシフトしていくことも多々ある。最近では『サウルの息子』でソフトフォーカスの手法が採用されていたが、今作も同様に意図的に観客の視野を遮断することで、逆に想像力を増長させる仕掛けが施されている。

さらに手法として特徴的なのは、BGMは一切なく、劇映画としての要素が排除されている点。これは一つのブルカラーの寡黙な男にスポットを当てた物語であると同時に、普遍的で誰にもありうる物語として描かれている。そのため、一見すると不要に思えるオリヴィエの腹筋、メガネを洗う、ベッドで呆然とするといった「何でもない日常」の描写を挿入している。無駄だと思われるカットを切り詰めるのではなく、逆に採用することでそのカットが生きているのである。

ストーリーは上述した通りで、よくある物語であると思うが、今作は巷にあふれるものとは一線を画する何かを感じる。それは何によって感じるのだろう。それは画面から伝わる抑制的で、感情を容易に吐露しない「沈黙」によってである。オリヴィエは決して多くは語らない。自らの子供を殺した憎き犯人と対峙したときも決して激昂したりしない。ただ坦々と作業を教える。それは感情を押し殺しているというよりは本当に「何も感じていない」ように見える。

少年と対話によってオリヴィエは彼の事情を知るようになる。目の前にいる小さき敵には父親がいないことを知る。そして彼も何か欠けた人生を送ってきたことを知る。そのことでオリヴィエは積極的に彼に接触する理由が変化していく。「憎き仇がどういう人間なのか知りたい」という理由とともに「先生として教え子に当然のように」、そして「少年に自分の息子を投影するように」接するようになっていくのである。復讐すべき相手にいつしか感情移入してしまうのである。

しかし、そんな寡黙なオリヴィエだが、唯一声を荒げ、感情を爆発させてしまう場面がある。車内で少年から自分の息子を殺した時の動機と状況を聞くシーンである。彼は無表情で少年の話に耳を傾ける。直前のシーンでオリヴィエの妻が少年を見ただけで気絶する描写があったが、それと対比されるように彼はいたって冷静に話を聞く。そんな彼だが、少年の本当に他愛のない理由による殺害を聞いたときはさすがに激怒した。しかし、彼はすぐに「行きすぎた」と冷静に戻る。そこで彼がやはり感情を押し殺しているという事実に気づかされるのである。

そしてそんな複雑な感情を有したまま、彼は少年に自分が被害者の父親であることを告げる。しかも本当に「唐突」に溜まっていた言葉が「つい」漏れてしまったように。ここだけでもう傑作の出来栄えである。決して劇的に飾るわけではなく(ふつうは劇的に「魅せて」しまいたくなるものなのだが)、言葉少なに彼のこれまで秘めていた感情が伝わる。これほど芸術的で印象的なシーンはなかなか無い。

そしてこのシーンの後の一連のシークエンスも比喩的で示唆に富んでいる。オリヴィエの突然の告白により、少年は逃亡する。オリヴィエがまだ彼を恨んでいると思ったのであろう。「5年も罪を償ったのに」というセリフからは彼が本当に反省しているようには感じられないが(一人の人間の命を奪って「5年」はあまりにも短い)、オリヴィエは決して彼に復讐心だけで動いているわけではない。

そして少年に追いついたオリヴィエは彼に馬乗りになり、思わず首に手をかける。完全に命を奪える状況になったことで彼のタガが外れたのか、それは定かではないが、彼はその後ゆっくり行動を完遂することなく手を放す。そして何事もなかったかのように作業を再開するのである。一連の動作で息が上がったオリヴィエは無言で無表情で作業を始める。そんな彼のもとに少年が静かに歩み寄り、一緒に作業を行う。この一連のシークエンスは一切セリフはない。あるのはただ彼らのアイコンタクトだけである。彼らは一体何を悟り、何を赦したというのだろうか。