Kamiyo

燃えよドラゴンのKamiyoのレビュー・感想・評価

燃えよドラゴン(1973年製作の映画)
3.8
1973年 ”燃えよドラゴン” 監督ロバート・クローズ
脚本 マイケル・アリン

僕ら団塊世代前後の男なら、必ず観てるであろう
一度はブルース・リーの勇姿をみて蹴りを入れる時に
「アチョー!!」と口ずさんでみたものだ。
まさに”Don't think,Feel (考えるな、感じろ。)

1974年公開以来、3回目の鑑賞となります。懐かしさがあり、今回も鏡の部屋の戦いはハラハラしてました。
ラロ・シフリンのテーマ曲がかかっただけで、もうワクワクドキドキものである。

ブルース・リーの圧倒的な存在感です。
ヌンチャクを流行らせたのも本作による。「アチョー」という雄叫びは、誰もが一度はマネをしましたね???
厳しく鍛え上げられた肉体を使った、キレッキレッのアクションは、いまだに見応えがあります。

昔は内容も含めた作品全体を大絶賛していたが、今改めて観ると内容に関しては決して褒められるものでないことが良くわかった。
しかし、あの「アチョー」という怪鳥音やトーントーンというフットワークを含めたアクション・シーンは今観ても古びれていないどころか、斬新ささえ感じる。
「かっこいい」の一言であえて片付けたい。
アクション・シーンではないが、オープニングに弟子をスリッパで叩くがごとスパーン!とやるとこ、それでいてしっかりと含蓄のある説教をするところ、ここも好き。

ブルース・リーはまずアメリカのTVシリーズでスターになり、香港にて「ドラゴン怒れる鉄拳」などで歴代興行成績を塗り替えるほどのヒットを飛ばす。
この「燃えよドラゴン」は(子役時代を除き)初めてのハリウッドとの合作であったが、公開直前に急死した(その死因はブルース・リーよろしく諸説ある)。
日本ではこの年(1973年)の冬に「燃えよドラゴン」が劇場公開されブルース・リー人気が急騰するも、その時彼は既にこの世にいなかった。ブルース・リーが生きている間に彼のファンであった日本人はほとんどいないという
ことだ。

事実上、本作がブルース・リーの遺作となる・・・が
半世紀を経ても、彼の伝説は生き続ける・・・。
ブルース・リーはまさに「伝説の人」なのだ。

香港の街並みも古いし、帆船に人を乗せて運ぶ光景なんて、香港じゃ今では見られないと思う。
実際,古い街並みは今でも残っていたが。

ほとんどの映画評論家が低い評価だったのに対して、
小森のおばちゃま(小森和子)がキネマ旬報で
その年の一位にあげていたのが今でも印象に残っています
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