耶馬英彦

原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たちの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

4.0
 終映後の舞台挨拶で、プロデューサーの河合弘之弁護士は、原発の差し止める戦いは今後も訴訟やデモや集会を継続して行なっていく。一方で、原発に代わる自然エネルギーによる発電も進めていくと、わかりやすい主張をしていた。原理原則はその通りでいいと思う。

 映画は、司法が原子力ムラの強欲によって歪められてきた事例を紹介しつつも、その逆にどんな圧力にも屈せずに、ひとりの裁判官として虚心坦懐に判決を下した樋口英明元裁判長にスポットを当てる。樋口さんの主張はとてもわかりやすい。学術的なことに拘泥することなく、原発が危険なのか安全なのか、確からしさは原告と被告のどちらにあるのかを考えるだけだ。原発は危険で、天災地変に耐えられる準備はなく、住民の命や健康を奪う危険性が高いと判断して、稼働を差し止めた。普通の裁判官なら誰でもそうする、と樋口さんは言うが、それなら日本には普通の裁判官が少ない訳だ。

 河合弁護士が主張し、本作品が紹介している「エネルギーの民主化」が実現すれば、原発はその存在価値を失う。河合弁護士の言う通り、経済原則によって駆逐されるだろう。当たり前の経済社会ならそうなる。
 しかし日本社会は当たり前の経済社会ではない。人間関係が大きく物を言う縁故資本主義だ。電力会社と仲のいい政治家や官僚がいれば、電力の自由化、民主化の実現は困難である。送電線というインフラの権利を電力会社が持っている以上、電力供給の自由競争は、法律によって担保されなければならない。

 ところがその法律を作る政治家が電力会社と一緒になって原子力ムラを形成している。電力会社が電力の買い取り義務を果たさない可能性は捨てきれない。農家がソーラーパネルで発電した電力は、買い手のところに届かない可能性があるのだ。
 日本は国を挙げて脱原発、再生可能エネルギーの開発に取り組まなければならない局面に入っているのに、政官財の原子力ムラは未だに「エネルギーの民主化」に真っ向から対立する方向性で動いている。それもこれも縁故資本主義が幅を利かせているからである。政治家に二世や三世が多いのも、同じ理由だ。地盤や看板の他に縁故も引き継ぎ、利益供与を継続する。格差が固定するのも同じ理由だ。

 警鐘を鳴らすという点では、観客の思考に委ねられる部分があるが、概ね河合弁護士の理念に従って制作したいい作品である。音楽もよかった。沢山の人に鑑賞してほしい。
耶馬英彦

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