Yoko

イル・ポスティーノのYokoのレビュー・感想・評価

イル・ポスティーノ(1994年製作の映画)
5.0
美しい海を望むイタリアの小さな町に住む青年”マリオ”は新たに郵便配達の仕事を始めた。
配達先はチリから亡命してきた詩人”パブロ・ネルーダ”が住む住居ただ一軒のみ。
詩や言葉を介したマリオとネルーダの交流、そしてマリオの人生を描く物語。

この映画『イル・ポスティーノ』は特段目をみはるカメラワークだったり、脚本家の頭の中を思わず覗いてみたくなるようなストーリーの展開であったり等々の、いわゆる「この映画は凄い!」と称賛する際の分かりやすい「凄さ」はほとんどない。
とりわけ恋愛要素の盛り込み方はかなり雑とも言える展開。
そういう意味では決して「上手い」映画ではないと思う。

しかし、この映画の「素朴」がとても心地よく、しっとり身に染みわたるような感動が巻き起こる。
それは今作のキーである「詩」、そしてロケーションや演者といった映画を構成する諸要素が得も言われぬ独特の化学反応を示したことが大きい。
青年と詩人の友情物語の美しさ、これもまた一つの要素としてあるだろう。
 
ただ、何故この作品にこれほどまでに感銘を受けてしまったのか。
それは、命を賭した主演のマッシモ・トロイージ、そして詩人を演じるフィリップ・ノワレ両人の表情に、感動を呼び起こす演技をする時に発生する厭らしさ(駄作にありがちな供給過多の「号泣」はその最たるもの)が全くなかったからかもしれない。
人間の喜怒哀楽は、事実これほど素朴な表情で語りつくせるのだということを知らされる。
 
映画はもちろん「虚飾」であることは暗黙の了解であるが、両人の表情に「実感」が透けて見えて、それらは「素直」であったように思えてならない。
両人は映画の中で演技をしているはず(映画なのだから)なのだが、本当に演技をしているのだろうか?
「虚飾」の中でひっそりと輝く「真実”らしさ”」がこの映画の魅力なのかもしれない。
トロイージ、ノワレ両人の表情は「真実”らしい”」のです。
ルイス・エンリケス・バカロフが手掛けた音楽が素晴らしいことは断言できるが、このことについて明言は出来る訳がないし、するつもりもありません。

言語化することがこれほど難しい、しかしながらオールタイムベスト級の作品を鑑賞できたという僥倖を有り難く思うばかりです。
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