てっちゃん

LOVE LIFEのてっちゃんのレビュー・感想・評価

LOVE LIFE(2022年製作の映画)
4.3
最近、ものすごく忙しくて(毎回言ってるし、それなら長文やめろよって感じですが感想を書き殴り、そのときの感情を残しておきたい気持ちがあるのでやめられないのです)、劇場鑑賞して1ヶ月以上経ってようやく書いているわけです。

1ヶ月も空いたら細かい内容は忘れていたりするので、思い出しつつ書いていくので、余計に書くのに時間が掛かる、、、だめですね。

そんなことで本作の感想を書いていきます。

宇多丸さんがラジオで、本作を絶賛されていたこと、深田晃司監督さんという存在は知っていたけど作品は観たことなかったので、この機会にということで鑑賞したわけです。

今年は例年に比べられないくらいに邦画を観ることを意識しており、こんな作品があったんだ!と発見することばかりです。
それで本作ですが、今年観てきた邦画の中でもトップクラスの完成度ってのは言うまでもないけど、深田さんすごいな、、と驚いてしまったのです。

内容と私の感想等を含めて。

・映像とそれを意味とするものが非常に緻密につくられている。
宇多丸さんが言っていた色に注目して見ていたら、黄色と青色が、、すごいのよ、もう。
主人公妙子と元夫パクと出会ったときから、それは始まり、その後の行動があり、その果てには、、妙子演じた木村文乃さんは"暫く黄色を見たくない"と言っているくらいに強烈な印象を与える。

あと物理的な配置位置のいちいちの説得力よ。
集合団地に住む妙子夫婦と二郎の両親が住むそれぞれの配置、妙子と二郎の職場の位置関係、家の中でも扉で仕切られる空間の使い方、、、それらがまさに職人芸といった感じで機能していくあたり、ため息が出てしまう。

・目を見ない。
初めからここに注目して観ていればなと思った要素です。
二郎は目を見て話さない、義父もそう。義母は違う。
聾者である元夫のパクは韓国手話で話すため、目を見る。
ここに注目していると、人間関係と奥に隠れた本音の部分や、その人間がよく分かると思う。

・誰もを平等に描いている。
本作は非常に人間臭い作品だと思う。
変に洗浄された人もいないし、言葉が悪いけど”聖人”として描かれる(純粋の象徴として)ことの多い障がい者についてもそう。

つまりは、登場人物たちが”生きている”し、みんな自分の都合の良いように生きるもんだし、それが人間関係の難しいところであるという目線で描いている。

特に、序盤で起こる”とある悲劇”によって、水面下で感じられたことが、表面に出てくる。
そして、妙子の”孤独性”をより浮彫にさせて、その後の物語へと進んでいく。

・人間は誰しもが孤独であること。
これは私も常に思っていることで、どんなに近しい人でも結局は他人であるから、人間は孤独であると思う。

本作はその孤独を否定することなく、それとどう向き合っていくのか、どのような行動をとって孤独を受け入れていくのかが描かれている。

でもその孤独の受け入れ方に賛否はあるだろう。
本作は正解を描こうとしていないから当然だろうし、そんなものに正解があったら、孤独にはならんでしょ。

妙子は孤独になりがちな人間ではあっただろうからこそ、パクの孤独感を埋めることにより、自分の孤独すらも埋めようとしていたんだろう。
でも、パクにとっては、そこに入って欲しくない領域があったのかな。
二郎の場合も家庭内で孤独を感じていたから、山崎に逃げたわけで。

・終盤のシーンよ、、
終盤に妙子はパクに付き添い韓国へ行く。
今まであまりにも近かったものが、海外へ行くことにより一気に遠くなり、より孤独を際立たせる。
笑ってしまうような情景の中で、妙子は1人で身体を揺らしてダンスに興じる。
それをじっくりと背後からのショットで撮っていく。
これぞ映画ですよ、、、の場面ですよね。

・夫婦はどうなるのだろうか?
あまりにも完璧なタイミングでタイトルロゴが出て、2人の姿を長回しで撮っていくシーン。

2人はこれからどうなるんだろう?上手くいかないかもしれないし、騙し騙しやっていくのかもしれない。

私は最後に面と向かうことのできた2人をみて、以前とは違うけど、それでも新しい生活を共にしていくのだろうなと感じたわけです。

いろいろ書いてきたけど、よくもこんな複雑な人間関係と心理的な部分を想像させながら観ることを要するのに、それを簡潔にしかも映画として面白く組み立てていくのは、本当にすごい。
でも余白もきちんとあるから、鑑賞後の見応えっぷりは段違いよ。

深田監督さん作品、本作が初鑑賞だったけど、必ずや違う作品も観ますと誓いをたてた次第でした。
てっちゃん

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