カラン

雪之丞変化のカランのレビュー・感想・評価

雪之丞変化(1963年製作の映画)
3.5
ユキノジョウヘンゲと読みますな。

若尾文子様が、私の観た中では最も可愛い。

映画は、、、

例えば、『リング』で中田秀夫はゴーストとしてこの世のものでない貞子がどのようにしてこの世の存在である人間を殺すのか描写していない。他方で、この映画で市川崑はそれをもっさり描写して説明している。これが市川昆の流儀なのかもしれないし、ある意味で大衆受けする分かりやすさなのだろうが、、、芸術というのは、たとえ同じ結果を指し示すとしても、説明ではない。イングマール・ベルイマンがドーラン塗っただけの老人をただ登場させて死を出現させるところで、いちいち市川崑は散文的な描写で説明をして超越をくじくので、どうもしらけるのである。

ベルイマンの『魔術師』(1958)的な一座のトリックを、木下恵介の『楢山節考』(1958)か後期フェリーニのような戯画的なセットに落とし込みたかった模様。ほとんどその場の思いつきのようにして、大映のスターだった長谷川一夫をフィーチャーする企画として制作が決まったようだ。決して悪いわけではないが、例えば上記の2作と比較すれば見劣りするのは明らかだろう。


今更に語るが、この映画は1963年のものであるが、1934年からその翌年にかけて新聞紙上に発表された時代小説が元で、今回の市川版『雪之丞変化』にも主演している長谷川一夫が主演した映画が早くも1935年に公開されている。そのリメイクがこの市川崑版ということである。

で、女形というだけの話だが、今どきはクロスドレッサーcross dresserとか、トランスヴェスタイトtransvestiteなどと言って、ブラッド・ピット氏までもがこれ見よがしにごついふくらはぎを見せながらスカートを履いている姿がネットに出回っている。今さらですが、妙に関心したのです。長谷川一夫もどう見ても男ですが、女服をまとって「よよよ〜」って泣くんですがね、1935年のオリジナルでも同様だったんだろうな、と。戦前の日本でも成立していた文化なんでしょうかね。

“transvestism”(異性服装倒錯)の英語版のwikiには、”Though the term was coined as late as the 1910s by Magnus Hirschfeld, the phenomenon is not new. It was referred to in the Hebrew Bible.”とあります。訳しておきますね。「これはマグヌス・ヒルシュフェルトによって1910年代にようやく作られた用語であったが、その現象は新しいものではない。ヘブライ語の聖書でも言及されていたのだから。」
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