海老シュウマイ

線は、僕を描くの海老シュウマイのネタバレレビュー・内容・結末

線は、僕を描く(2022年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

悪くなかった。
ほんとこんぐらいをさくっと量産しやがれでございますわ。
一方で、別段取り立てて持ち上げるほどでもない気が。

気になったのはやっぱり横浜流星の喪失、虚無の原因が人の死で、そこがなんとなく哲学的っぽいセリフや描写で回収されていくところで、

ここは要するに、単なる挫折とか物語上、これからの成長のための伸びしろでしかないのに、
他の青春キラキラ映画でいうところの、受験で失敗して志望校以外に来てしまった、ムリ目の先輩に恋をした、弱小部活だった、を設定として言い換えてるだけで、それらは下卑たものとして扱うのに(特に恋愛)、人の死があると高尚なものとして扱うのはどうなんだい。

人の死を観客のエモーションに訴えかける手法は難病モノで登場人物を殺すのと同レベルなのに。

百歩譲って、きっちり人の生と死、再生をロジックを積み上げて見せてくれるなら良いけども、なんとなく夕日の河原でうんぬん、動物の命がうんぬんとか薄っぺらい。そんなの青春エモエモ映画なり小学校の食育の授業でいい。せめて水墨画の創作とリンクさせて語ってよ。横浜流星が水墨画という創作をしてるときだけは過去を忘れられた、自分の生を感じたとかでいいじゃない。

千歩譲ってエンタメだし創作だからバンバン人殺すのもokだとして、哲学チックなこと言ってる割にはポップなキャラクターの細田佳央太や富田靖子がキツくて、他人に聞こえるような独り言で作品批評するなよ。

そして、劇中3度も出てくる観客の前でのパフォーマンスとか、書道ガールズかっての。
本来、水墨画ってのは自分の内面と対話しながら孤独に表現をする芸術じゃないのか。観客にウォーって言ってもらうもんじゃないし、仮にダイナミズムを表現したかったとしても、映画の観客だけに伝わるように撮れば良くて、歓声を入れる必要はない。

もうこの時点で人の死の話どこ行った?って感じなんだけど、やっぱり「ちはやふる」が良くも悪くもわかりやすく「スポーツ」で「チーム」だったことと、本作の「一人」、「内省的」な水墨画の話とは本質的に異なるものだったんじゃないか。
そこを意識しないで安易に「ちはやふるメソッド」で撮っちゃったんじゃないか。百人一首と水墨画は和っぽいから一緒!って雑にくくってる場合じゃない。

スランプだったけど他人から元気をもらって描いたら賞をとりました!じゃねーだろ。そういうスポ根パーツいらないよ。万歩譲って清原果耶は賞をとっていいけど、横浜流星まで賞をとってやんの。


このお話、どうせなら暗く、静かに、もっともっと地味に、でも少しずつ朝日が昇ってくるように、しっとり作ってくれたら好きになれたかもしれない。

とりあえず小泉徳宏ではなかった気が。こんなの撮ってないで山田杏奈ちゃんで一本企画考えやがれでございますわ。