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トリとロキタのKKMXのレビュー・感想・評価

トリとロキタ(2022年製作の映画)
4.7
 厳しい社会的な現実を描きつつ、一筋の希望を描き続けたダルデンヌ兄弟。しかし、本作では希望は描かれません。俺は『ロルナの祈り』以外の配給作品は観てますが、今のところはっきりと希望を描かないのは本作だけです。何故、ダルデンヌ兄弟は本作で希望を描かなかったのでしょうか。

 本作の主人公・トリとロキタは未成年の難民です。政情不安の北アフリカから逃げてきた2人ですが、少年のトリはベナン、思春期のロキタはカメルーン出身です。旅の途中で知り合い、擬似的な姉弟関係となり、互いに助け合ってベルギーにやってきました。
 しかし、トリにはビザがおりましたが、ロキタにはまったくおりません。しかも、ロキタをベルギーまで連れてきた移民ブローカーから金をせびられています。ビザが無いので学校にも行けず、仕事もできないロキタは闇バイトをするしかなく、ドラッグの運び屋をやっています。しかし、それでも困窮するロキタ。ビザはまったく発給される気配はない。そのような時に、ロキタは偽装ビザの存在を知り、購入のためにさらに非合法な仕事に絡め取られていきます。その仕事はもはや奴隷といっても過言ではありませんでした……このようなストーリーです。


 本作では、移民のビザが焦点になっていました。おそらく、ロキタにビザが発給されれば、職業訓練も受けることが出来、公的なサポートの対象になり、ヘルパーとしてリーガルな仕事をすることができます。正直、ビザが発給されていればこの物語は冒頭5分でひとまずのハッピーエンドとなります。しかし、物語は90分かけてひとりの少女の悲劇をたっぷりと描きます。ビザがおりないばかりに。
 ダルデンズはインタビューにて、保護者のいない未成年の難民にはビザが発給されづらい現実があり、しかも18歳になると強制送還されてしまうことを問題視していました。ビザのない未成年難民は公的なサポートを受けられず、非合法の仕事をせざるを得ないのです。ロキタがそうであるように。その結果、年間数百人の保護者のいない未成年の難民が行方不明になっているそうです。そして、ダルデンズは、この状況を変えるには法改正しかない、と述べていました。未成年の難民は増加の一途でありながら、法改正は進んでいないそうです。
 ダルデンズは『ロゼッタ』で未成年者の労働を描き、法改正の機運を高めて、実際に世論を動かして法律を変えました。児童労働の新しい法律は『ロゼッタ法』と呼ばれているそうです。今回もそのような動きを狙っている側面もあるでしょう。


 しかし、真のターゲットは我々の意識ではないか、と考えています。

 我々は果たして、自国民と難民をフラットに見ることができているでしょうか。もし、ロキタが自国民で、自国民でも保護者のいない未成年が公的サービスを受けられない法律が背景にあり、闇社会に絡め取られて破滅していく物語が語られたのであれば、大きなムーブメントが起きたでしょう。映画を観なくとも、未成年者を保護しないとは何事だ、子どもの人権を守れ、と誰もが憤るはず。ロゼッタの時はきっとそのような動きがあったのではないでしょうか。
 しかし、ロキタはビザの降りていない不法滞在状態の難民です。物語を観ればロキタの悲劇に多くの人は胸を撃たれ、子どもの人権を考えるでしょうが、観ていない人は「不法滞在の難民だからしょうがない」と言う人も多いと思います。
 自国民と難民。『内』と『外』の間に、明らかに一線引かれていると思います。名古屋入管のウィシュマさん事件もそうですよね。DV被害に遭った女性を助けずに不法滞在だから収監し、結果的に死に至らしめる対応をしました。不法滞在になってしまった理由も酌量せず、DV被害者がこんな対応されていいのか。入管の問題や技能実習制度等、日本にも『外』の人の尊厳を蹂躙する制度が山のように存在します。


 ヨーロッパに押し寄せる難民はどんどん増えています。2015年の難民危機で押し寄せる難民の数は2倍に増え、さらに2022年のウクライナ戦争後はウクライナの難民が圧倒的に増加しました。
 さらに、ウクライナ人と他の中東・北アフリカの難民の間には格差があります。ウクライナ人はすぐにサービスが受けられますが、他の難民は何ヶ月、何年も待たされます。トリとロキタのような北アフリカ系の難民はさらに厳しい状況に置かれ始めています。ダルデンズのお膝元のベルギーでは、非ウクライナ系の3500人もの難民たちが路上生活を強いられています。
 そして、移民への感情は、国家も国民も決して良くありません。富裕国は受け入れに不満を示しており、極右が移民を襲撃する等、難民は憎悪の対象になりやすいです。難民の犯罪が起きると過度の一般化が起き、難民=悪という偏見がすぐに強化されます。難民への共感疲れ、という言葉を使うメディアもありました。移民へのネガティブな感情は、右派政治が台頭する一因になっています。
 このように、増え続ける難民に対して、ポジティブな感情を抱き続けるのは難しいのかもしれません。育ちも文化も人種も言葉も違うから、共存は難しいし、犯罪も増えるし、国費が自国民のサービスではなく難民に行ってしまうのは抵抗がある……そんな風に考えてしまうのも無理ないことだと思います。

 しかし、それでいいのか、とダルデンズは本作で問いかけているように思いました。子どもがこんな目に遭っているんだぞ。抑圧され、搾取され、誰も助けてくれない。生まれた国が違うだけで同じ人間だぞ。見過ごしていいのか?確かにビザを発給しない法律に問題があるが、それを見て見ぬふりで黙殺してる方にも問題があるんじゃないのか?そして、その背景には、難民への差別感情、偏見があるのではないか。『内』と『外』なんてどうでもいい、人間の尊厳の問題に目を向けるべきではないか……と訴えてきているようにも感じたのです。


 本作を観て、俺は胸のつかえができました。そして、それを抱えて考えていくことが、本作を観て何かを感じ取った人の課題ではないかと思っています。

 ダルデンズは数々の作品で『抱え堪え』を描いてきました。悲しみや怒りを対象にぶつけずに抱えて堪える。踏ん張って受け止める。そして、その結果、自分自身の器が広がる、すなわち成長します。器が広がると、関わる人もポジティブな影響を受けて少しずつ変化していきます。つまり、正の循環が生まれるのです。
 今すぐに何かアクションできる訳では無いと思いますが、こうして得たものを抱えて堪えることで、何かが変わっていくと感じています。とにかく、俺は今回のダルデンズの問いかけを受け止め、抱えて堪えようと思いました。
 
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