垂直落下式サミング

聖地には蜘蛛が巣を張るの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

聖地には蜘蛛が巣を張る(2022年製作の映画)
4.0
娼婦ばかりを狙う連続殺人事件をめぐる物語。猟奇殺人を扱ったサスペンススリラーなのかと思ったら、少し違った。犯人が誰か、どのように追い詰めるのか、重きをおくのはそこではない。
事件を追いかける主人公と、次々と犯行を重ねる犯人の男の日常が均等に描かれていて、犯人の人生と記者の熱意が徐々に交差していく。
舞台となっているのが、イスラム教国のイランであることが、単なる殺人事件ではなく宗教的なイデオロギーとの結び付きを強くしている。
日本にいるとにわかには信じられないけれど、世界的に宗教とは個人のアイデンティティの重要な要素をしめるものだ。中東の国々では、思想や理念とかを超えて、人生や生活といったレベルで密接に関わっていたりする。
イスラム社会では、女性に貞節が求められるから、男の不貞なのに誘惑した女が悪いみたいな逆接が成り立つのが不穏。これも文化だからって、国際社会はそれでいいのかな?って、難しい問題であると思う。
主人公はジャーナリスト。こういう映画で、女だてらに頑張る人が出てくると、高圧的な男に負けじと言い負かしたり、ずけずけと耳の痛いことを指摘したりするものだが、聖地ではそうもいかないらしい。
警察や検事など地位のある男と話すときはなにかを逆撫でしないように言葉を選び、ヒジャブ(スカーフみたいなやつ)を深く被って正装していた。
意図的なんだろうが、働いている女性は主人公の記者と売春婦たちしか登場していない。後は、誰かの奥さんとか、お婆ちゃんとか、他には子供とか。
売春婦であることは基本よく思われないし、そもそも、女性全体の地位が低い。ジャーナリストの仕事に打ち込んでいる主人公と、イスラーム社会での理想的な女性像だと思われる犯人の妻が、鏡あわせのように対比されるのが上手かった。
なんせ、よき妻という役割に準じて生きている犯人の奥さんは、夫がこんな事件を起こさなければ幸せに暮らせていたと思うから。旦那様にとって、キレイで可愛くかいがいしい素敵なお嫁さんでいたいってのも、旧態依然の価値観といって社会から切り捨ててはいけない女の夢のひとつの形であると思うし。
犯人が捕まってからの裁判が、まあ胸糞。こんな殺人鬼の自己正当化が街の世論に後押しされているんだから、前提が僕らの感覚と違うんだなって。
イスラム教の根強い国は、男尊女卑が日本とかの比じゃないくらいやばいんだろうなって、漠然とした偏見しかなかったのだけど、実際のところ本当にやばそう。
イスラーム社会にもとからあった女性蔑視と、経済自由化によってもたらされた実力主義ががっちゃんこしたら、さあたいへん。サイコパスでソシオパスな連続殺人犯は神聖な行為と解釈され、人の旦那を誘惑してその気をおこさせる売春婦のほうが悪くて、本質的な社会問題であるはずの、売春をしなければ生活が立ち行かない貧困家庭の貧しさは、平気で当人たちの自己責任だと切り捨てられる。最悪な世論のできあがり。
基本、自由主義経済ってのはいいものだと思うし、とりあえず今んところの世界を円滑に動かすための最適解だと思うけれど、ほかの思想とちゃんぽんするのはよろしくないって、これも歴史が証明してるんじゃないかな。これに関しては対岸の火じゃないよ。
当の事件は、宗教粛清にかこつけたレイプ殺人らしいから、これまた救えないんだけれども、それでも一定数犯人を擁護する同情的な声はあったらしい。
いやいや、広い視野でみましょうって。人を殺すのは、種族単位でみると決定的にマイナスだって、誰でもわかるでしょ。そこを蔑ろにしたら終わりです。
判決が出てからのほうが精神だいぶイッちゃってて、神の意思だとか、聖戦だったんだとか、俺は成し遂げたぜみたいな実感を得ちゃってるのが、また胸糞悪い。
こんなんだから、支持者たちが裏で手引きして死刑執行前に逃げられそうなハラハラする雰囲気だったけれど、刑務官たちは義の人であった。司法ってのも捨てたもんじゃないなと。
絞首刑の場面で苦しむ顔のアップになるから、ここで溜飲を下げることはできた。罪もない女たちの首を絞めて殺害してきた男が、天から吊られた紐によって報いをうけているような。被害者たちは、けして浮かばれることはないけれど、それでも天意は彼を裁いたのだ、と。そう思いたい。
中盤にある戦闘シーンがお気にいり。ガタイのいい娼婦に反撃をくらって、一旦は馬乗りタコ殴りされるところとか、不謹慎だけど笑ってしまった。男に虐げられるばかりだった女性が唯一対等な馬力で張り合っていた場面だから、どうにかあのまま勝ってほしかったな。