KnightsofOdessa

Evolution(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Evolution(原題)(2021年製作の映画)
3.0
[ハンガリー、反ユダヤ主義の年代記] 60点

2021年に新設されたカンヌ・プレミア部門選出作品。この部門は"仲良し監督のコンペ選出をしたいけど仲良しが増える一方かつ仲良しでも質がよろしくないのでコンペに入れるのはどうだろうみたいな作品を入れる接待枠"だと思ってるんだが、それにしてはこの年のコンペの質が低かったのでイマイチ方向性の見えてこない部門である。この年はムンドルッツォの他に、エヴァ・ユッソン、アルノー・デプレシャン、マルコ・ベロッキオなどの新作が選出されている。さて、本作品は三つの時代におけるホロコーストの禍根を描いた作品である。第一部"EVA"では、窓のないコンクリートの部屋を掃除する男たちが描かれている。20分近い疑似的な長回しの間、彼らは無言で無心に壁をこすり続け、壁の亀裂や排水溝に大量の人毛を発見すると、彼らの仕事はますます不穏な空気を纏い始める。恐らくソ連に解放された直後の収容所での出来事かと思うが、それにしては恐怖の描写が戯画的なので、時代や場所を若干ボヤかしているのは意図してのことだろう。やがて、壁の穴から漁業網くらいの髪の毛を引っ張り出した作業員一行は、排水口の下に隠された少女エヴァを発見する。

第二部"LENA"では、現代まで時間が飛び、老齢となって認知症となったエヴァと、彼女の娘レナとの口論を描いている。レナはエヴァの出生証明書を提出してユダヤ人認定してもらうことで、息子を人気の幼稚園に入れたい、つまり認定によって得られる恩恵を受けようとしていて、逆に登録し他人に一括管理されることへの恐怖を知るエヴァは"私は悲劇を利用しない"として対立する。これはムンドルッツォの妻で本作品を含めた近作の脚本家も務めるヴェーベル・カタの母親とのエピソードを参考にしているとのこと。長い口論はこれまた40分近い擬似的な長回しで収められているのは、コロナ禍によるミニマルな製作体制の成果のようだ。この章も、壁という壁から水が溢れ出すという戯画的な帰結を持っており、それによって、母娘の物語を一般化している。また、基本的に一部屋で展開するのだが、一回だけカメラが浮遊するように窓の外に出て、通りにいる人を眺めるという奇妙な瞬間が訪れる。

第三部"JONAS"では舞台がベルリンへと移り、レナの10代の息子ヨナスの物語が描かれる。彼は同級生から虐められ孤立しており、教師はクラスでの虐めを"中東の紛争"と例えて"これまで通り起こりうることだ"とし、ヨナス自身も自身の出自を重荷であるとしか考えていない。そんな何世紀にも渡る差別の解決策が、ヨナスを助けてくれるトルコ人の活発な少女ヤスミンとの起こる、或いは今後起こりうるロマンスであり、次世代への淡い期待を込めた終幕としている。作中では初めて他人との関係性が描かれているが、次々と場面が変わる中で長回しを貫くことの意味を"世界への順応"として置いているが興味深い。また、この章の帰結はこれまでと異なり、寓話的で地に足の付いていない印象を与えかねないファンタジックなものではなく、事実を中心に語られているのも希望的だ。

初期オゾンやデプレシャン近作、グレタ・ガーウィグ『Little Woman』の撮影監督ヨリック・ル・ソーによる長回し、特に第一部の長回しは見事で、前作の印象的な冒頭長回しを超えるほどのインパクトがある。どうしても連想してしまうネメシュ・ラースローよりも被写界深度が深く、かつ超自然的なことが一つの空間で起こるので、『サウルの息子』と差別化しつつ闇深度合いでは比肩している。また、戦争と三世代の歴史という点はパールフィ・ジョルジ『タクシデルミア』と比較していた人も多かったが、本作品では過去・近過去・現在~近未来という三点を抽出しているので、そこまで関連性があるとは言えないだろう。
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