おさかなはフィッシュ

蜂蜜のおさかなはフィッシュのレビュー・感想・評価

蜂蜜(2010年製作の映画)
5.0
決して幸福なばかりではなかったはずなのに、幼い頃というのはどこか安らかな調和のなかにあったように思われる。(ユーミンの唄、「小さい頃は神さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた」の世界だ。)
菓子を作ってくれるのだという母親、テーブルの上に置かれた卵。その肌理のすべらかなこと。それは子どもの肌だ。
ことばは硬い殻の内側ではね返りくぐもる。箱のなか、蜜蜂の羽音のざわめき。まだ何もかもが秩序立っているわけではない。あの美しい鏡面の波もきっとそうだ。掬い取ることのできない月の不可思議。銀色の円が揺れる、かき混ぜられる。混沌、宇宙卵ーー。
大木を覆う苔を湿らせているのは、少年の眼に膜を張る涙だ。それは根で吸い上げられ、あるいは霧となり霊気となり樹上へと到達する。そこはあの崇高さを湛えた寡黙な父と、蜂箱とのあるところだった。眠りの殻がひらくには、まだ少し時間がかかる。



薄い膜越しの視覚は、私たちとは違っている。夜目のきく、あのハイタカはどうだろうか。少年は白いリボンで目隠しをし、夢と現との間を通り抜ける。
昼光のもと顕らかなものだけで世界が成る必要はないのだ。(大人になっても、それはふと「やさしい気持で」目を開くことのできた朝にはきっと、昨日とは違うものの姿を光の中にみとめることができる。)



メモ
「詩の根幹的機能のひとつは、事物の裏面や、日常にひそむ驚異ーー非現実ではなく、世界の奇跡的な現実ーーを見せ示すことだ」(オクタビオ・パス『泥の子供たち』) (野谷文昭『エリセの聖なる映画』より孫引き)



なんとなくいま必要としている気がして鑑賞。
確か昨年か一昨年もこのくらいのときに観ていたし、きっとそういう時期なんだろう。

この前の年末、冬の林にバードウォッチングに行ったとき。
はじめは双眼鏡を覗いてつい鳥の姿を探してしまうものだけれど、そのうち立ち止まり、周囲の音に耳を澄ますようになる。
そうすると、それまで聞こえていなかった音が徐々に聞こえ始める。

当たり前っちゃ当たり前なんだけれど、そうだと思い出すまでは本当に忘れているから、ときどき思い出すための時間をもつことを心がけたいと思う。



オールタイム・ベストをつくるなら、間違いなく入ってくるであろう一本。
映画を観始めた大学一年の頃、はじめて一人でミニシアターに行ったのがこの作品だったと思う。
シネコンとは違う、暗闇の中でもその色が分かる真紅の椅子。
そういった経験もあり、特別の印象が残っている。