【不幸陳列罪一歩手前で】
「不幸陳列罪」映画というジャンルがある。不幸だけを回転ずしのように並べているだけで、不幸を通じた人間の複雑な感情に迫れず、表層的な共感や同情で成り立っている映画のことを示す。仄暗いタッチ一辺倒、チープな作りでありながら、題材が題材なので苦言を呈しにくいだけに質が悪い。それだけに私はこの手の映画を最近は嫌悪している。
『夜明けまでバス停で』は確かにコロナ禍数年の空気感の表象として小説以上に重要な役割を担っている。とりあえずの鼻マスクで飲み会騒ぎしている様、Go to Eat、緊急事態宣言に、東京五輪への期待と不安。静かに、強烈に社会を覆いつくす厭世観を捉えようとした作品として評価できるのかもしれない。しかしながら、おばちゃんたちが居酒屋のシフトを減らされた挙句、クビとなってホームレスとして街を彷徨う様、ネットカフェ難民にすらなれない様子、セクハラ問題がただ平坦に並べられているだけで、その複合的不幸によって増幅される感情が予想の域を出ない。表層に留まってしまっているのだ。
一応、本作はこの手の閉塞感ものにありがちな仄暗いライティングを回避しようとしている工夫があったり、なんといってもラスト10分で映画的ショットを交えた展開へと転がすので、完全たる「不幸陳列罪」にはなっていない。
だが、悲しいかな、本作の虚構的救いの良心に対して、現実は悪意あるスペクタクルがこの映画の前に発生してしまっている。映画における虚構性が現実を下回ってしまう2020年代も含めて暗い気持ちになった。