1959年、妄想性障害の患者の研究の為にミシガン州イプシランティの州立病院に就任したストーン医師。
その病院に居た自らをイエス・キリストであると思い込んだ患者と、同じ症状を持つ患者を余所の病院から呼び寄せ、同じ部屋で同じくキリストを名乗る患者達に交流をさせて、ロボトミー手術や電気ショック、大量の薬の投与以外の当時軽視されていた心理療法への新しいアプローチを試みる。
ってお話。
そこまで…でもないなって映画の時はしょっちゅう停止してはネットニュースを観たり猫をいじったりするけれど、最初から最後まで止めずに視聴。なんなら再視聴。
今でこそロボトミー手術や電気ショックの替わりに適切な投薬治療や精神療法が用いられていると思うんだけど、映画の当時では暴れたとあればすぐに電気ショック。患者が嫌がっても電気ショック。あまり人として見られていなかったんじゃないかなぁって気持ち。色んな人の研究や失敗があってこその今だとは思うのだけれど…。
ストーン医師の実験的治療も当時は理解がなく、面倒事や名声だけを欲しがる病院長に邪魔をされる。
1人目のキリスト、ジョセフ・カッセルは小人症でありながら入隊を望むものの門前払いを受け精神を病んでいき、妻が毒を盛ったのだと疑って暴行、逮捕されて入院。妄想型の統合失調症。
2人目のキリスト、クライド・ベンソンは海軍に入隊し戦争へ、妻は中絶手術の際に死亡。
その事で精神を病み、腐った胎児が悪臭を放っていたと妄想が膨らみ、自身の臭いを酷く気にするように。酒に逃げたところを逮捕。妄想型の統合失調症。
3人目のキリスト、リオン・ガボール。母親が宗教へ依存し、仕事に出ている間中ずっと部屋に監禁されていた。反対を押し切っての入隊後戦争で活躍して帰国。しかし母の宗教依存は益々強まり、自身の為に祈り続ける母を見て不眠と暴力の症状と共に自身がキリストであるとの妄想が出る。母を脅迫して逮捕。妄想型の統合失調症。
自身がキリストであると名乗る者同士を同じ部屋で生活させ、互いの妄想を目の当たりにさせる事で"目が覚めた"前例に基づいた実験らしい。
はじめは反発し合い、自分こそがキリストで他の2人は病気なのだと揉めて取っ組み合いが起こったりするものの、次第に距離が縮まっていき互いを少しずつ思い遣る行動も見えてくる。
手応えを感じる反面、何度も病院長に手紙を出しその返事が来ない言うジョセフに病院長の名前で手紙を偽造して返信したり、リオンの妄想上の彼女の振りをして手紙を出したり、患者に嘘を吐く事で悩んだりもする。
患者達のストーン医師への信頼が高まるに連れてちょっと不安になって来るんだけども、功名心しかない無能の病院長が介入して来た事で手紙は嘘だったのだとバレてしまった上にストーンの居ないところで興奮したジョセフに電気ショックが与えられてしまう。絶対にしない と約束していたのに。
彼らの信頼を損ねてしまったと落胆するストーンに、病院長からクビを告げられる。ストーンが去った後、擦り寄って来た病院長にジョセフは今までの行為を非難し、愚かにも挑発に乗って体格の良い看護師を下がらせた病院長を拒絶して鐘楼から飛び降りる。ストーンが友人に掛け合って丁度病院に戻れる目処がついたのに。
病院長の責任を問い質すもののストーンの方が解雇となるが、それは表向きであって患者や家族と一緒にニューヨークへ行くように言われる。あなたの研究を続けて貰うと。
ジョセフを失い信頼を失いかけたリオンに自分の本名がアラン・スタインである事、ユダヤ系の名字である為にナチスに殺された親が子を守ろうとして変えてくれた事を話す。そして友達になってくれ と頼むリオンに、もう友達だろう と患者との間に一線を画す事の大切さを語っていたストーンはリオンと抱きしめ合う。
リオンがクライドをニューヨーク行きに誘い、ここよりイギリスに近い?とずっとそれを望み、最後にはイギリスに飛び立つ妄想から飛び降りたジョセフを思って尋ねるクライドに、近いよ と答えて彼が残したレコードの曲に小さく頷いて終わり。
事実に基づいた作品、と表示されるが、事実に着想を得た の方が正しい気がする。
映画は映画。事実としては元の話の医師であるロキーチは後年になって彼らの自身がキリストであるという妄想を取り払う事が出来なかった事、彼らを実験に付き合わせた自身こそが神のような振る舞いであった事を反省して謝罪を述べている。
それが最後の字幕である"わたしを癒やしてくれた"なんだけど、"彼らを操作して彼らを治す事が出来るという自分を神のように考える妄想は治った"って意味なの分かり辛い。調べなきゃ分からんかった。
"though I had failed to cure the three christs of their God-like delusions they had cured me of mine"
映画としては好きだ。彼らを研究対象として、患者としてみていたものの…って言う。
ただそれらの対象としてだけ見ているのなら、彼らの生活に入り込んだり嘘を吐く事で悩んだりしなくても良いのに、他人に優しくするようになった彼らにストーンも人としての優しさで手を差し伸べる。
体の傷より、目に見えない心の傷を治すのは難しいんだろうなあ。
適切だと思っている治療も、目に見て治療効果を確かめられる体よりも今行っている治療が相手にとって良いものだって信じてやるしかない場合だって多いだろうし…。
傷ついても見えないんだから、傷ついたのだ と言わなきゃならないし。言えない人もいるし。