垂直落下式サミング

野いちごの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

野いちご(1957年製作の映画)
5.0
イングマール・ベルイマンの代表作のひとつだが、彼の他の作品とは些か毛色が違う。ベルイマンは西洋的な知識人として厳格で哲学的な作品を多く残し、映画製作にあたって極めて文学的な論理性を重視してきた映画作家だ。良く言えばインテリだが悪く言えば身も蓋もなく意地悪な作風。しかし、この『野いちご』は人間愛に満ちた優しい視点で描かれるハートフルなロードムービーとなっている。
名誉博士号の授与式に向かうイーサク医師の夢と過去のエピソードを織り交えながら、老い、死、愛、孤独、後悔、罪について普遍的な問いかけが成され、年老いてからは誰とも心を通わせることのなかった老人が、旅での出会いを通じて人の心を取り戻していく姿が暖かい視点で描かれている。
序盤の夜中のお弔いのような不吉な夢のシーンは何とも冷厳な風情で、強烈な白に照らされた異様な町並みが静的なカメラの横移動で美しく映し出される。人間の心の中にある禍々しくも美しい虚無の造形は何よりもホラーでありモノクロならではの映画表現だ。そして、射程圏内に迫る己の死や老いから目を反らすように、若かりし頃の美しい記憶と妄想に逃避するイーサク老人。死を待つ未来なき老人には、過去に思いを馳せることしか残されていないのだ。
旅の途中で出会う人々の様々な人間模様と共に描かれる孤独な老人の回想。ずっと仕事ばかりだった…一番好きだった女の子と結婚できなかった…家族関係が上手くいかなかった…気がつけば偏屈な老人だった…。「もし、あの時~だったら何かが違っていたのかもしれない」そんなことを考えても仕方がないのに、人は自らの人生を振り返っては、ひとり孤独に苛まれる。老いや死を認めず過去に逃避する老人の姿が惨めで情けなく描かれ、意地悪で後味の悪い回想シーンが続くが、終盤では優しい視点に切り替わり、美しい愛に満ちた物語として彼の人生は輝きを放ち始める。背負ってしまった大きな罪を自ら許すことで、生を実感できなかったイーサクの枯れていた心に再び血が通いはじめるのだ。
サーラとの別れの言葉に心を救われたイーサクが息子に語りかけるシーンは涙なくしてはみられない。後悔のない人生などないが、美しい思い出も辛い過去も、すべて愛おしい自分の一部なのだ。誰の心にも響く不朽の名作である。