眠りすぎなおっさんのおはなし。
医師として数多の人々を救い、人々に優しく接し、人々に尊敬されてきたイーサク(ビクトル・シェストレム)は名誉博士号授与式に向けて車を走らせる。
老人のロードムービーではあるが、その道中にあったのは出会いや別れというよりも、彼自身を映す鏡であった。
皆に親切で周りから敬われていた男が、なぜ不幸な生を歩んできたのかという謎を、鏡は彼の罪と罰を示しながら明かし伝えていたのだ。
ちょっと余談。
当然だが鏡という物は光を反射させる。僕にはこれが映画館のスクリーンのように思えてならない。特に自己投影してしまう作品を映画館で観る時のスクリーンはまさに鏡だろう。
作中の鏡もまた男を映し、本人にまがまがと見せつけていた。だから僕は、本作のタイトルがなぜ「鏡」ではないのかが疑問にさえ思う。
そして終わり際に入る、一日を通して自らの罪を省みた老医師の安息。これがなんとも心地好い。
『処女の泉』もそうであったが、もしやベルイマンはこういったプレゼントを終わり際に贈ってくれる人なのだろうか。まだ2本しか観ていないため、判断はしかねるが、他作への興味はすこぶる湧いた。
モノクロに映えるタキシードの列などの美しいショットを散りばめながら、目の前の人を深く大事にする大切さを教えてくれる映画、『野いちご』。
…いややっぱり、なんでこれをタイトルにしたのだろう…わからぬ…