塚本

追想の塚本のレビュー・感想・評価

追想(1975年製作の映画)
3.9
1944年5月。
ナチスは連合軍の上陸作戦を控えて、レジスタンスの掃討作戦を始める。
南仏の街モントーバンの病院にも、負傷したレジスタンスが担ぎこまれてくる。彼らを匿おうとする外科医ジュリアンは、ナチスのブラックリストに載ってしまう。
自分はともかく妻クララと一人娘のフロランスに厄災がふりかからないように、ジュリアンは自分の故郷にある古城に疎開させる。
やがて連合軍がノルマンディに上陸したことを知ったジュリアンは不吉な予感ともに妻子のもとにかけつける。
村には誰も居らず、教会を覗くとそこには村中の人間の死体が山積みになっていた。ここで彼は心の中の何がが弾けてしまう。「神とは名ばかりか!」との心の叫びと共に、教会のキリスト像やマリア像をなぎ倒していく。
ジュリアンは古城に急ぐ。
城は既にナチスに接収されており、娘は庭で、銃殺され妻は火炎放射器で焼かれ炭化していた。火を手で遮るような格好で壁際にはりついた妻の死体を見て、温厚なジュリアンは完全にブチ切れ、フツフツと湧き上がる怒りから復讐することを誓う。普段は温厚な人物がある境界を越えることで、狂気にかられるというシチュエーションは、ペキンパーの「わらの犬」にも通じるだろう。
地の利では断然有利なジュリアンは、隠し扉や隠し部屋などを伝いながら、ひとりひとり、兵隊をライフル銃(原題は古い猟銃)て仕留めていく。この辺は哀愁漂うダイハードだ。
ジュリアンは己の所業に恐れおののくが、その度に幸せだった頃の家庭生活を思い浮かべて自らを鼓舞しつつライフル銃を握り直す。
「追想がジュリアンの怒りのエンジンにガソリンを注ぐのだ。」と、監督のロベールアンリコは言う。
最後に残った将校は多数のレジスタンスに囲まれていると思い込み、もはやこれまでと鏡の前で自決しようとする。
ところが、鏡の裏はマジックミラーになっており、火炎放射器を抱えたジュリアンがその様を窺っていた。
自殺なんかさせない。妻と同じ目にあわせてやる、と、突然鏡に映った将校の顔がグニャリと歪み、鏡が溶けた所から猛烈な火炎が噴き出して、将校は火だるまになる。

全てが、終わってレジスタンス達が駆けつけ、ジュリアンはその中にいる友人に惚けたように語りかける。
「家に帰ろう。妻が夕飯を作って待ってるから」

この映画はのどかな田舎の風景をバックに、幸福そうに並木道を自転車で並走する親子のシーンで始まり、追想として同じシーンで終わる。
妻と娘を失い、復讐を全て終えてしまったジュリアンは、一番幸せだった頃のこのシーンの中に閉じ込められたまま、この世界でしか生きられないのかも知れない。


当初、ジュリアン役はリノバンチェラが、演じる予定だったらしい。しかしフィリップノワレのいかにも善良そうな佇まいのほうが、感情が復讐に転化したときのコントラストは大きい。
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