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サマリタンのbackpackerのレビュー・感想・評価

サマリタン(2022年製作の映画)
3.0
【鏡写しの超人=映画人の老後は、どうなっていくのか?】

僕らのシルヴェスター・スタローン(以下、スライ)が演じるのは、20年前に死んだ街の英雄と思しき老人ジョー・スミス。ジョー・スミスなんて典型的偽名を使ったら逆に目立つと思いますが、分厚い筋肉鎧を見に纏う老人という、恐ろしく個性的なスライの見た目に対し、パーソナリティの無い没個性な存在と想像させる偽名のギャップは、丁度いい不協和音を生んでいますね。

監督は、ナチス×ゾンビ風映画『オーヴァーロード』のジュリアス・エイヴァリー。
プロデューサーはスライ自らが務めました。
代表作にしてスライの写身であるロッキー・バルボアから名付けた製作会社『バルボア・プロダクション』による、初の長編作品です。


【「サマリタン」と「ネメシス」】
サマリタン=サマリア人と言えば、一般的に、聖書にてイエスが語ったとされる例え話のことを指します。劇中でも、「善きサマリア人」という台詞がありました。
隣人愛のたとえをその身に冠するサマリタンは、神聖視されたヒーローであったことが伺えますね。

では、ネメシスも聖書由来でしょうか?いいえ違います、ネメシスはギリシャ神話に登場する義憤の女神の名前です。神罰の執行者の名を冠するネメシスは、作中では平和を脅かす復讐鬼として語られています。

双子の兄弟であるサマリタンとネメシスは、遺伝子異常のため生まれた時から強靭な存在で、周囲の人間に恐れられ、迫害されていました。
人々は、一家が寝静まった夜に出入り口を塞ぎ、家に火を放ちます。
結果、ただの人間だった両親は死んでしまいましたが、双子は無事。そして、復讐鬼ネメシスと正義の使者サマリタンは袂を分かつことに……。

っておいおい、ちょっと待てい!
この幼い兄弟に降りかかった悲劇の過去パート、サラッと流されていますが、人種差別・ヘイトクライム・不寛容といった社会問題が背景にあるわけですよね?
公務員ストや市民の困窮等の社会情勢の劣悪化も、どう考えても街の人間たち大衆社会が招いた成れの果て。
要するにこの作品、「社会が終わってる」という前提が引き起こしたアレコレなんですよ。
実際、画面に青空のような清々しいものが映ることは一切ありません。映されるのは、曇天、路上生活者、うらぶれた集合住宅、錆びついた遊具、他者に手を差し伸べる余裕の無い人々、ストリートギャング、ゴミ箱、水たまり……と、暗いモチーフばかりです。

単純に"スーパーヒーローの老後物語"なのかと思っていたら、貧困に喘ぐ下層階級が溢れかえる社会への問題提起と、現代社会へのアイロニーが溢れる世界観で、ギョッとしてしまいました。
『ジョーカー』や『ザ・バットマン』等で示されたゴッサムシティよりも親近感の湧く市民生活を見せているのに、ずっと陰鬱な空気が流れている。こんなDCよりもDC臭い閉塞感ある街を見ることになるとは、思いもよりませんでした。


さて、物語の後半で、スライ演じるジョー・スミスが、実はネメシスだったということが明かされます。
でも、特に驚きはありません。なぜなら、物語の流れから「これ、生きてたのはネメシスだったパターンだな」と、ある程度の段階で予想がついてしまうからです。
しかし、「サマリタン=正義、ネメシス=悪の構図が、本当は真実では無いのかもしれない?」という可能性が見えてくるにつれて、「大衆(鑑賞者の視点、自分自身)が見るのは、自分に都合の良い現実」という行間が透け始めます。
「超人は善人で、民衆の見方である」なんて体のいい理想論は、所詮幻に過ぎず、善悪はスタンス次第という考え方、いかにもヒーロー物語へのアンチテーゼ風ですし、昨今のダークヒーロー系のお約束。
でも、こっちの考えの方が、現実は甘く無いよねと思い起こさせますし、個人的には好きです。
また、アメリカン・ニューシネマを終わらせた『ロッキー』その人であるスライが、当初脚本ではゴリゴリのアメリカン・ニューシネマ調の終わり方をとるはずだった『ロッキー』の名前を冠して立ち上げたバルボア・プロダクションの第1作として、ヒーローの偽善とヴィランの偽悪、大衆の無邪気な悪性と劣化する知性を見せつけるアメリカン・ニューシネマ的スーパーヒーロー映画を撮ったという事実が、なんとも皮肉に感じます。

映画人スライの長い映画人生が、一周回って原点回帰した。『サマリタン』は、そんな作品なのかもしれませんね。
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