雷電五郎

アイ・ケイム・バイの雷電五郎のレビュー・感想・評価

アイ・ケイム・バイ(2022年製作の映画)
3.5
反体制を訴えて夜毎、富裕層の家に侵入し「I CAME BY(参上)」と落書きする活動をしていたトビーとジェイ。
しかし、ジェイの恋人であるナズが妊娠したことにより、ジェイは落書きをやめると言い出し、トビーは1人で活動することに。ブレイクという元判事の家に侵入したトビーはそこで隠された犯罪の存在を知ってしまう、というあらすじです。

この作品、スリラーとしても非常によく作り込まれており実際の犯罪で殺害された被害者達がなかなか発見されない理由のリアルを生々しく描いている映画でした。

また、イギリスという国独自の貴族制により権力者の犯罪が暴かれずに隠蔽されてしまう不条理と、移民や亡命、人種や貧困によって社会的弱者の立場が権力によってたやすく踏みにじられ、かつ、罪に問われずに終わるという形容しがたいヒエラルキーの重さを感じさせる作品でもありました。

作中では実に様々な国の人々が登場しますが、黒人であるジェイや中東からの亡命者であるエスティシャンなどなど、彼らはいかに法律が平等をうたおうとも自らの立場が吹けば飛ぶような危ういものだと痛い程理解している。
だからこそ、怒りや義心があっても訴える出ることで自分が信用されず、そして、逆に罪に問われてしまうだろうという社会的死を恐怖してしまう。

作中でエステティシャンの彼が言っていたように「貧乏人は選択することができない」というセリフが突き刺さります。
貧困、人種、性的マイノリティ、彼らのすべてがブレイクという圧倒的な地位を持った人間の前では選択を許されない弱者なのです。

誰かが悪事を暴いて事件を解決するなどという痛快な展開はこの作品には存在しません。トビーは悪事を見逃せずに死に、リズは息子を探し続けて殺され、エステティシャンは不法滞在と脅され、みなブレイクの手にかかって死にました。
最後にジェイがブレイクの悪事を暴き、壁に描いた「I CAME BY」はジェイを含めた社会的弱者達全員の不当な権利勾配に対する怒りの声のように感じられました。

とても悲しい結末でジェイが復讐を成し遂げ泣き出してしまったのが印象的でした。自分と家族の身を守るために口を噤んだ結果、トビーとリズは死に彼にとってはブレイクを告発できたとして大切な2人は帰ってきません。自責の念さえあるかもしれません。
また、それまでの展開からして罪に問われてもブレイクの立場ならなんらかの恩赦が働き死刑には至らないかもしれない可能性もあります。

I CAME BY

自分の存在は、権利は、命はここにある。
見えないものではない。
失われるのが当然のものではない。

そういう怒りの叫びがこの短いワードに込められているような作品でした。

良作だと思います。
雷電五郎

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