このレビューはネタバレを含みます
東佳苗さんのレビューを観る前に読んでいたのに、映画の予告編を観て、あぁこの場面だったのかと こころ動いたのに、
パンフレットを買わなかった
買う価値が、と気持ちが傾いた作品でも生活状況を鑑みて、お金を即決で出せないじぶんに生を感じました
理解してもらえた、これはわたしの作品だと激動のように震えたつもりに思っても、生があしたからも日常、の中でいともあっさりと続いていくことに
目が覚めた感覚で気づかされる読了後
なみだがでる
あしたからも、あしたからだ
じぶんのために胸に掻き抱ける作品(わたしにとって誰かにとって)
なのだろうと思います
過去のちいさなちいさなじぶんを救済する、あなたにあなたにあなたのための作品
こういうやさしい映画がたまにあるから
いつ振り返っても、今までの生き方を辿るための作品が
ヘンゼルとグレーテルが零したクッキーのおが屑のように、人生に点在する
本当に祈りのような、捧げるような気持ちでありがとうと想う
わたしもみなさんのレビューの通り、
白城ちゃんがすきです
女は社会の中でいつまでも、という気持ちもわかるし、研ぎ澄まされた暴力性の社会で打ちのめされないように、
自らを傷つける場に身を置く行動もわかる
やさしいは決していいことだけじゃない
だってやさしすぎたら踏み潰されるものね
こころを、鎧も盾もないんだもの
やさしい、という面を人に見せすぎても
わたしが大事にされるわけじゃ決してない
冗談じゃん、とか冗談通じないのキツい、とかそんな暴力に幾度も遭遇したことがある
(それを暴力、と断罪することもまた暴力であることもわかったつもりでいる)
じゃあ、そのときに何も感じないように
鈍感のふりをして、いつかそれが本当になった気がすることが、正解なのかな
いろんな生き方、人との、社会との、いらんな距離の取り方がある
大変でも、面倒でも、
話を聞きたい、知りたい
ぬいぐるみにだって心がないわけじゃないんだから、負の感情を全てぶちまけられる、んじゃなくて
にんげんと、こころを分かち合うためのおたすけキャラに ぬいぐるみがなってくれるなら、
それこそがぬいぐるみの「やさしい」側面だと思う
(きみたちはほんとうにやわらかくて あたたかくて しあわせそうで さみしそう)
みなそれぞれの独白がよかったです
先輩もみんなすきだ
めがねの柔らかなせんぱいがいちばんすきだけど、あの先輩もあの先輩もあの先輩も、みんなすきだ
すごく、大切です
誰もいない映画館の2階で、端っこのソファ席で、体育座りで、「」
(きょうが最終日でした、ぼんやりと認識していて、おわりがくる前に、きちんと気がつけてよかった)
鑑賞したこの記憶で、御守りとして
あしたからも少しだけ根をはろうとおもいます