シュローダー

バートン・フィンクのシュローダーのレビュー・感想・評価

バートン・フィンク(1991年製作の映画)
4.8
やられた。ここまで作り手の手のひらの上で踊らされると、全面的に降伏するしかない。1941年 ハリウッドに招かれた劇作家 バートンフィンクは、プロレスラー物のB級映画の脚本を依頼される。しかし、脚本は一向に進まない。そこに、謎の隣人が現れて…
類稀なる傑作を連発するコーエン兄弟のキャリア初期の傑作にして、カンヌでパルムドールを受賞した作品。この作品の何が凄いかと言えば、何層にも折り重なったモチーフの象徴性だろう。まず、ユダヤ教に育ったコーエン兄弟お得意の旧約聖書モチーフ。部屋の机の中には旧約聖書が置いてあるし、特に今回は分かりやすく「バビロン捕囚」の話をしている。次に、「全体主義への怒り」の話だ。刑事の名前がドイチという事からしてもうファシズムの揶揄だということは目に見えてるし、彼を「ハイルヒトラー」と言って頭を吹き飛ばす隣人のチャーリーの姿が皮肉を誘う。1941年という時代設定も非常に直接的。そして、最も重要なモチーフは「制作会社の奴隷たるシナリオライターの憂鬱」であろう。結局の所、この物語の主な舞台たるホテルも、バートンの隣人チャーリーも、全てがバートンの精神世界の出来事であろうのは確かだ。何故ならば、この映画は常にバートンの主観視点で語られているからだ。チャーリーは空想の産物。剥がれる壁はチャーリーの耳垂れ。高い室温はバートンの抱える怒り。飛び回る蚊は彼の定まらない思考。全てがバートンの狂った世界の象徴だ。せっかく作家性を全開に脚本を書いても、商業性を重視する上役には罵られ、挙句の果てにはその作家性すら否定される。まさしくコーエン兄弟十八番の不条理テイストがそこにある。そしてあのラスト。部屋に飾られていた絵と全く同じ構図を、バートンは見る。絵で見ていた事が現実に起こる。つまり、彼にとっての現実=辛く苦しい物 (カモメが落ちるのはそのため)を知ったのだろう。また、箱の中身とは何か。恐らくオードリーの首であろうが、何故なのか。それは、自分の尊敬してきた作家の作品を何本かは彼女が書いたものであると知ったからだ。つまり、彼女を殺したのはその首を手に入れて想像のミューズとして側に置くためではないか。だから、箱を手に入れてからはスランプに悩むことはない。この様な厭で病んだ点からも、同じ年に作られた「裸のランチ」と比べてみるのも面白いかもしれない。あちらも、ウィリアムバロウズの自伝的内容から紡ぎ出されるクリエイターの狂気と悲壮の物語であった。やはり僕はコーエン兄弟が大好きだ。