シムザスカイウォーカー

ボーンズ アンド オールのシムザスカイウォーカーのネタバレレビュー・内容・結末

ボーンズ アンド オール(2022年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

1日経ってもこの映画を消化しきれずにいる。それだけ衝撃的だった。グロ耐性がないのもある…

マイノリティの生き辛さを描いており、社会に許容されていない特性を持っているということは、未来への希望どころか今いる自分の足元すら脆く崩れてゆくのだね。

マレンはリーの元を一度離れるが、再び戻ることになる。マレンにとってアイデンティティを保っていられるのはリーの前だけだったと思うと、マイノリティ同士の結びつきの切実さが伝わってくる。

さらに、2人の結びつきを強くしたのは実の親から襲われるという耐え難い経験。自分が生きるために親を切り捨てねばならないなんて、万人が経験することではないからこそ通じ合えたのかもしれない。

残念だったのは、各々食べる相手を"選んで"いるようにみえるし、食人衝動のトリガーやどれだけ食べずに生きられるのかということが曖昧で、食人衝動の切実さは伝わってこなかった。マレンとリーは2人で家を借り仕事をし始めた頃には人を食べていなかったのだろうし…カニバリズム映画でいうと『RAW〜少女のめざめ〜』の方がより衝動的で、食人をやめられないという気質が明確に感じる。

サリーは死にかけた人を悼む気持ちがあるように見えて身勝手。食べた人を忘れないため、償いの気持ちからその人の髪の毛をもらいロープのようにして持ち歩いていると言っていたが、恐らく女性ばかり狙っていたのだろう。髪の毛も掌握した女性たちのコレクションでしかない。

男性社会の中で弱者に分類されるだろう彼は、さらに弱いものを獲物にしているのだから同情の余地はない。あれだけ鼻が良ければ、マレン以外にも同族を見つけられたはずだし。好意を無碍にされたと逆上する男性は世の中に山ほどいるので驚きはしないが、そのリアリティにゾッとした。サリーの解像度だけやけに高くはないか?

原作は読んでいないけれど、作者はヴィーガンで、原作ではその要素も組み込まれているらしい。そう考えると、マレンが同族ではないブラッドが人を食べることを非難するのは、ヴィーガンの人間から見た肉食の人間への言葉にも置き換えられる。動物の肉を食べずとも生きられるのに、なぜ肉を食べるの?と。

父に見捨てられたばかり頃のマレンはアイデンティティが未発達で、自分の考えを言葉にすることも辿々しい印象だったが、リーとの感情の繋がりがマレンを成長させていたように思う。心理学者のフロイトは、他者の人格的な特性を手本として自分の中に取り入れて人格を確立していく心理過程を"二次的同一視"と呼んだけれど、その究極系がマレンがリーを食べることだったんじゃないかなと思った。私にとっては愛の物語というよりも、マレンの心の成長の物語だった。