一八

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥの一八のネタバレレビュー・内容・結末

4.9

このレビューはネタバレを含みます

※ネタバレ注意!映画を鑑賞してから読んでね!

「バッグスバニーは僕らのなりたいもので、ダフィーダックは僕らそのものだ」
ルーニーテューンズのアニメーター チャックジョーンズ

黒いカモのダフィーダックは、WB最大の人気キャラになるという無意味な大志を抱き、白ウサギのバッグスバニーをスターの座から引きずり下ろそうと、今日も悪知恵を働かせます。
ある日、ダフィーはバッグスと同じショーを演じることとなり、今回こそバッグスを越えようとあの手この手を尽くしますが全て空回り。
みんなスターのバッグスに夢中で、虚栄心が強く自己中な性格のダフィーには誰も目にくれません。
ヤケになったダフィーは、最後にとっておきのネタを披露します。
ガソリンにニトログリセリン、火薬とウラン238を飲み込みシェイク、仕上げに火をつけたマッチを口に入れてドカン!!
ダフィーは跡形もなく消え去り、観客は大盛り上がり。
これには堪らずバッグスもダフィーを称えます。
「凄いよダフィー!アンコールがかかってる!」
けれども、半透明になって天に昇っていくダフィーはバッグスにこう返しました。
「ああ、わかってる。でもこのネタは一発しかできないんだ」
"ルーニーテューンズ『Show Biz Bugs』"より

https://youtu.be/2AfETSvaSbs?feature=shared

『ジョーカー』のその後を描くクライムミュージカル法廷映画。
まず、僕は以前、『ジョーカー』のレビューを書いた時、ルーニーテューンズの『What's Up Doc?』(『どったのセンセー?』)の筋書きと照らし合わせながら、自分なりの感想を述べた。

https://filmarks.com/movies/80819/reviews/130660281

そして本作『ジョーカー2』。
まるで5年越しの答え合わせのような内容で本当に驚いた。
僕がこの映画を見て確信したことはこうだ。
『ジョーカー』がバッグスバニーなら、『ジョーカー2』はダフィーダック。
トッドとホアキンが世間を恐怖のズンドコに叩き落としたこの『ジョーカー』シリーズとは、宇宙一人を笑わすことができない男が実写で再現する、"史上最低のルーニーテューンズ"である。

本作最大の見どころといえば、やっぱり最序盤のカーテューンアニメだろう。
主人公アーサーフレックが自分の影に振り回されるという、このアニメには元ネタがあり、それが、この文章の冒頭で紹介した、WBが50〜60年代に制作した短編アニメ『ルーニーテューンズ』の『Show Biz Bugs』(『ショービズはキビシ』)。
ダフィーはこのアニメの他にも、何度もバッグスに勝負をけしかけるが、その度にバッグスから仕返しを受けている。
『Duck Amuck』(『カモにされたカモ』)では、ダフィーが銃士を演じようとすると、突然背景が変わったり、音がでなかったりと、ダフィーを描くアニメーターのバッグスから、第四の壁を越えてひどい仕打ちを受けたり、『This Is A Life?』(『これも人生?』)では、とあるテレビ番組の会場席に座るバッグスが、司会のエルマーに紹介されてステージに上がり、番組の主役となったのを見て、隣に居たダフィーが愚痴をこぼしながら悔しがる。

https://youtu.be/6XvXsuSJ-1A?feature=shared
https://youtu.be/UAgWr8hZQ6Y?feature=shared

もうお分かりいただけるだろう。
悪のカリスマたるジョーカーとは、みんなのスターであるバッグスバニーのことを指していて、逆に人々から笑い物にされるアーサーはダフィーダックそのものである。
前作の真相は、誰からも愛されないアーサー(ダフィー)が、犯罪スターのジョーカー(バッグス)の仮面を被り、『Duck Amuck』の劇中でダフィーがバッグスのイタズラに振り回されたように、自身が作り上げた影に操られながら、バッグスがスターとなる『What's Up Doc?』の筋書きをなぞることだった。
でも、根がアーサー(ダフィー)なので、バッグスの真似事をしたとしても、本物のバッグスとはまた違った結果となる。
それが、ジョーカーがマレーにしたことと、バッグスがエルマーにしたことの違いで、僕が前作を見て感じた違和感、偽りのバッグスの正体だった。

ルーニーテューンズにはダフィーの他にも、ロードランナーを捕まえることに執念を燃やし、失敗し続けるワイリーコヨーテや、トゥイーティーを捕食しようとして仕返しされるシルベスターキャットなど、様々なやられ役が登場する。

ホアキンが最初の曲を歌うシーンでTVに映るアニメ『Scent-imental Romeo』(『におえる森のロミオ』)に登場するぺぺルピューもその中の一人。
スカンクのぺぺは、ネコのペネロッピーキャットに好意を寄せていて、彼女に猛アタックを仕掛けるが、その体臭故にペネロッピーはぺぺを嫌っており、最後にぺぺはペネロッピーから仕返しされるのがお約束で、これは物語の結末の暗示になっている。

https://youtu.be/fThmAvfw5zQ?si=kW3FX9aP154IMTGI

また、このアニメにはもう一つ意味合いがあり、スカンクのぺぺは以前、劇中での行動が問題となり、キャンセルを受けた過去がある。

https://theriver.jp/pepe-le-pew-cut-space-jam2/

前作『ジョーカー』で、アーサーがダンスしながら階段を降りるシーンで、児童への性的虐待で逮捕されたゲイリーグリッターの曲を使用したことで、物議を醸したことを覚えているだろうか。
実はあれと同じことを今回もやっていた。

https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/80907

物語の中盤、アーサーがメイクを決め、ジョーカーとして法廷に立った場面で放ったセリフ「こ・こ・こ・これでおしまい!」は、『ルーニーテューンズ』のエンドタイトルでポーキーピッグが喋るセリフ。
ポーキーはよくダフィーとコンビを組んでおり、ダフィーに振り回された挙句、酷い目にあったり、逆にダフィーに仕返しすることもある。
これは証言台に立つゲイリーパドルズのことを指していて、アーサー(ダフィー)の仕事仲間であるパドルズ(ポーキー)だからこそ、彼がジョーカー(バッグス)の仮面を被ることの矛盾を理解しており、アーサー自身もそのことに気付き始めたのだろう。(それとダフィーは『グレムリン2 』と『スペースジャム』のエンドタイトルで、ポーキーの仕事を奪おうとしたこともある)

https://youtu.be/-5T5j1eWgpM?feature=shared

本作最大の謎であるアーサーとハーレイの最後。
なぜアーサーはジョーカーになりきれなかったのか。
そりゃそうだ。成功する訳がない。
だってアーサーはダフィーなんだから。
ダフィーにシルベスターにコヨーテ、そしてぺぺがそうだったように、彼らはあの手この手を尽くして目標を達成しようとしても、必ず自爆という形で失敗する。
アーサーがジョーカーとなり、ハーレイと一緒に犯罪の王として君臨することは、コヨーテがロードランナーを捕まえてしまうのと同じくらいの禁じ手だった。
それではギャグとして成り立たない。
たとえ成功したとしてもどこかで必ず崩壊する。

https://youtu.be/6KDgDYdug6M?feature=shared

他の人の批評を見てみると、アーサーがジョーカーを否定したことに対して、脱神格化だの、観客に冷や水を浴びせる行為だの、幻滅との向き合い方だの、そういうマイナスな面が目に留まる。
でも僕は全然そう思わなかった。むしろ逆。
なぜならアーサーの人生とは、宇宙一つまらない男が人を笑わせるという無意味な大志を抱き、何度も挑戦し何度も失敗し続け、けれども諦めきれずに再び山に登り始める、そういうもので、そしてこの生き方とは、何度自爆しようと諦めずに終わりなき戦いを繰り広げる、ダフィーやコヨーテの生き様と全く同じであるからだ。
このことは最後に流れる『That's Life』と、『True Love Will Find You In The End』の歌詞にも表れている。
彼は偽りの仮面を捨てることで、史上最低のルーニーテューンズとして迎え入れられた。
笑いの世界で生きた者にとって、これほどの名誉が他にあるだろうか?!

ただ、酷評してる人達の気持ちも分かる。
笑えないルーニーテューンズは果たしてルーニーテューンズと言えるのか?と聞かれると微妙だから。
この映画は骨組みは良く出来ているけど、肉付けの部分がスカスカなんだ。

個人的には、ルーニーテューンズのファンで良かったなという気持ちで一杯。
胸が熱くなったし、まるで人生の応援歌のように感じとれた。
ラストは号泣ものでしたよ、ええ。
ただ、問題なのは見終わって後からだった。
世間の酷評の嵐を見ていると、まるでこの世の全ての悪意が自分に向いているみたい。
まるで『ジョーカー』最序盤のアーサーになった気分。
「狂っているのは僕?それとも世間?」
って、うっさいわぁ!人間不信になるわぁ!
どうしてこんな形で人生を応援されなきゃならないんですか?!何故?!!
まあ、コヨーテのように諦めないで生き続けよう。
ルーニーテューンズ大好き。今はそれで十分。

最後に一言。
「いつも心にコヨーテを!」
一八

一八