日本人監督だが、海外製作の<日本の15年戦争>のドキュメンタリー。15年戦争とは満州事変から太平洋戦争の終結までをいう。久しぶりに15年戦争という言葉を聞いた。<日本の戦争>というと真珠湾攻撃から原爆投下されるまでの太平洋戦争を思い浮かべやすいが、日本はその前から長いこと海外で戦っていた。
このドキュメンタリーで話されていることは、私の両親から聞いた話とよく似ている。
母は15年戦争の最中に生まれ、生まれてからずっと日本は戦争していたと言っていた。昭和一桁生まれは節約家だ。モノのない時代に育ち、敗戦によって価値観を一気にひっくり返された。
おかっぱ頭の女の子たちの中に母の姿を見た気がした。遠く山まで歩いて行き、着物を少しの食べ物と交換する。親と離れて疎開し、水とんの日々。終戦を迎えても、下町の家は燃えて失くなり、大人を信用できなくなった子どもたち。
大正生まれの父は大学を繰り上げ卒業し、学徒として熱帯に送られ、熱病に冒されたのが原因で難病を煩い、障がい者となった。同級生の3分の1は戦死。
両親、祖母、親戚から直接戦争の体験話を聞いた(最後の?)世代である。母方の親戚は思想犯と言われ獄中死している。学校から配られたしおりには、登校時、下校時に宮中の方角に礼をすると書かれていた。父の実家も焼失した。
なので、ここで書かれていることは海外製作であっても、実際にあった事実と市民感情であり、戦前、戦中、戦後の人々の日常を映している。敗戦が悔しかった大人に比べて、がまんを強いられていた子どもたちは敗戦の意味より、助かった、解放されたと思ったのはたしかだろう。脚色ではない。
その子どもたちが親世代になったとき、戦争を知らない私たち世代は、小学校時代、戦争ごっこは禁止されていた。それは道徳的、倫理的に、常識的に、だと思う。
なので、遊びくらいで目くじらを立てるのも可笑しいと思われるかもしれないが、戦争をゲーム化したり、シューティングゲームやモデルガンを使ったり、サバイバルゲームに至っては、本物の戦争をしたいのだろうか、と思ってしまう。戦火をくぐり抜けてきた人びとの前でそれができるだろうか。
遠くの争いを憂えるより、身近なことに目が行きます。