おりょうSNK

ベルサイユのばらのおりょうSNKのネタバレレビュー・内容・結末

ベルサイユのばら(2025年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

2025年 日本 114分
平日11:30〜 観客19人

人生に、
ベルサイユのばらが足りていない——
そんな思いが突然に胸を衝いた。

気がつけば、令和7年2月をまるごと捧げていた。
全40話。
そのすべてを追いかけ、涙し、
そして今、
たどり着いたのは静かな劇場の闇。
新世代スィトワイヤンとしての旅の終着点、あるいは始まりとして。

19人だけの観客だが明らかにリピーター。
静寂のなかに響く序曲、
スクリーンいっぱいに咲き誇る、オスカルのご尊顔。あまりの気高さに、息を呑む。

16時間を2時間弱に。
無理を承知の構成に、
なにを責めよう。
この壮絶なまでのダイジェスト。  

それでもなお、愛が余っていた。
そこには確かに、魂の総量があった。

四人の人生に焦点を絞った構成は静かな気迫に満ちていた。そして、人生のすべてがあった。
青春のきらめき、揺れる心の自由、抗いようのない運命の中で。
愛と誇りと、血と光。
削がれてなお残る真実の煌めき。
薔薇が咲き、交わり、
そして、
ひとつの青春が、静かに燃え尽きる。

むしろ、削ぎ落とされた分だけ、
浮かび上がるのは薔薇の輪郭。
オスカル、マリーアントワネット、アンドレ、フェルゼン——
薔薇たちが交わる、その一瞬の煌めき。

時の断章が絵となり舞台に宿る。
語られぬ物語が、静かに歌と踊りの狭間に息づいていた。
描かれた一枚一枚は、過ぎ去った時間の断片。
それは語られなかった記憶であり、
語られることのなかった魂の囁きである。

一幕の中に散りばめられたそれらは、
まるで人間の意識の底に沈む、夢の残像のよう。
映画は語る——
すべてを言葉にする必要などないのだと。
沈黙の中に宿る真実もまた、美しく、雄弁なのだと。

スクリーンを離れたあとも、
心のどこかで、マリーの涙が乾かない。

ああ、たしかに今、
僕の中に薔薇が咲いた。
劇場を出たとき、
世界は変わっていた。
色が違った。音が違った。
風が吹くたび、オスカルの名前が聞こえる。

——ああ。
ようやく、人生が始まった気がする。
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