全身小説家の作品情報・感想・評価

「全身小説家」に投稿された感想・評価

人に勧められて観たドキュメンタリーではあるし、この作家のことも知らなかったけれど、どんどん引き込まれていく作品だった。虚構は作家にとっては得意中の得意だろうが、自分の人生自体を虚構に染め上げた井上氏には、呆れを通り越して天晴れとも思う。この男の人生そのものが虚構であった、それこそ天性の小説家ではないかと思う。
そしてきっかけはどうあれ大変面白いものを撮れた監督が、インタビューで飄々としていたことも興味深かった。
原監督独特の芝居がかったドキュメンタリー作品😁

本当に狂気と正気の狭間を常に
往き来している人の素なのか
芝居なのかが分からない
映像には本物の迫力がある😬

これもエンターテイメントの
ひとつの形です😘
先日観た欅坂・平手主演の「響」はいかにも漫画の世界の天才文学少女のお話だった。
華々しく文壇に現れる主人公よりも、心身を削り成功を掴もうとする者、すっかり書くべき対象を失った彷徨えるかつての才人など、小説家なる怪しい存在の様々な姿に惹かれた。

熊井啓の「地の群れ」。
トラウマ映画であり、今見ても尚凄まじい作品と感じられるのかどうか、いつかスクリーンで観れるまではと再見していないが、長崎の海塔新田という被爆者部落を描いた心身を削り取られるかのような作品だった。
その原作者こそが、このドキュメンタリーの被写体井上光晴だった事をすっかり忘れていた。

文学伝習所なるものを開催。
商売なのか、ボランティア精神なのか、人たらしなのか、グルーピーに囲まれるかのような特殊な空間。
老成の女性が顔を紅潮させ、井上光晴への恋慕に似た情を語る。
色が白くて肌が綺麗とも。
彼ら彼女らと、時に激昂し時に道化て戯れる姿が、なんとも気色悪くもあり可愛らしくもある。

癌を患い、死に向かう。
ひとりの作家の闘病と仲間との友好を描くだけで終わらないのが、原一男。
先日見た情熱大陸上がりがラーメン屋を撮っただけの志も何も無いようなドキュメンタリーとは比較するのも失礼だが、ステージが大いに異なる。

"嘘つきミッちゃん"のエピソードから、虚飾部分を徐々に剥いでいこうとするのだが、そんな恣意を井上光晴の人間性が跳ね返すかのよう。

また本作では珍しく回想シーンを怪しいモノクロ映像で再現し挿入しており、なんともエロティック。
奇しくもいずれのシーンも嘘かホンマかよく分からないというのも面白い。

特典映像の精神科医との対談を見てつくづく思うのは、原一男の油断ならない聞き上手ぶり。
結論ありきの持論を滔々と喋る快感に酔うことなく、自らの流れに引き寄せる術を心得てらっしゃる。
見習わねば(^^;;

娘さんの井上荒野の小説も読んでみたい。
Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

3.0
‪「全身小説家」‬
‪戦後派文学とは彼の事を言うだろう。本作は熊井啓が監督した“地の群れ”等で有名な小説家、井上光晴のドキュメンタリーで原一男の力作で三段階に分けられた話。まず癌との闘い…周囲へのインタビュー…そしてイメージ映像。更にフィクションと融合させており非常に見応えのある作品だ。‬
ヒルコ

ヒルコの感想・評価

3.7
前半と後半でガラッと変わる映画。前半は女ころがしのジイさんが癌になって大変だなぁなんてボーッと見てたけど、再現Vが入ってからの違和感と、どうしてそうなのかがわかった時、やっぱり原一男スゴイなと思いました。知らない作家のジイさんと思ったら、こないだ見た映画「地の群れ」の原作者で、なるほど本当に作家としては力のあった人なんだなぁ嘘もうまいだろうなぁ、って言うよりこの人の中では何度も言い過ぎて本当になったのかもなぁなんて思ったりもしました。わたしは絶対に原監督にドキュメンタリーを撮られたくないです。
kyoko

kyokoの感想・評価

4.0
原一男まつり ラスト

面白かった~

絶賛ガン治療中の、いずれは死に行く人の虚構が砂のようにボロボロと崩れていくのを、こんなふうに笑って見られるのは、原一男監督の力はもとより、3割バッター・嘘つきみっちゃんの魅力によるものが大きい。

伝習所ガールズが井上氏を語る時の目が本気で潤んでいる。
(耳をほめてもらったと嬉々として話す女性の隣にいるご主人にズームインする、あのザ・原一男なカメラワークがたまらない)
そして全員、口では「奥さんが、他の女性が」と言っているけれど、自分がいちばんだった時期があったことを1ミリも疑っていない。
通りすがりに「チュッ」って、どんなテクニックよ(笑)
普通のおじさんなら瞬く間に捕まっている。

まるでオセロのように真実と虚構が入れ替わる。
「死」以外、真実は存在しないかのようにも見えるけれど、奥さんの心境はともかく、井上荒野はりっぱなファザコン作家になったし、伝習所ガールズはみっちゃんの思い出に満たされた心のまま生きていける。
井上光晴というフィクションが必要不可欠だった人たちの存在こそが真実。


公開当時のチラシやビデオパッケージにあるコピーが凄い。

「嘘もつきおわりましたので、……じゃあ」
yusuke

yusukeの感想・評価

4.0
人間の下品な欲望を誘い出すようなワイドショー的でいやらしい作為に満ちた、しかしそれがかなり計算して作られてるんだろうと感じさせるカメラと編集。人の話聞いてたり、喋ってない時の人間の表情は雄弁であり、またストーリーテリングや編集で雄弁にさせられるんだと実感。
虚構と現実を扱った作品だが、この作品の中で取り扱った小説家のフィクションに取り組む姿勢と嘘、そしてこの作品がドキュメンタリー映画ということがややこしい。今時ドキュメンタリー映画がフィクションに比べて嘘のないものだという考えはないだろうが、映画がそれが写しているものと円環的になっていたり、相似関係だったり入れ子構造だったり対象的だったりと、映画とテーマとの取っ組み合いみたいなものを、なぜか肉体的な、身体的なイメージで感じた。一応現実に即しているというリアル感からくるものなのだろうか。
また登場人物や、この映画そのものを第三者として見ているようで自分を見せられているような感じがして嫌な感じがする。
鏡の覗視というイメージ。
あの「ゆきゆきて、神軍」の原一男監督作品ということで、観たいと思っていた作品。

始めは何気なく、気づけば入り込んで観てしまった。

簡単なネタバレを読んだ後、井上氏に嫌悪感を抱くかもしれない…と思ったことを、いつしかすっかり忘れていた。

虚言だらけの井上氏の過去が明るみになるのと、病魔という間違いのない現実と、何故だか相反して哀しくなってしまった。

一番印象的だったのは、終始淡々と夫の世話をやく奥さんの姿。

このレビューはネタバレを含みます

作家井上光晴先生のドキュメンタリー。ファンタスティック!イマジネーションの力が、グレイトモテモテマンを作る。女につく嘘は魔法です。一定層いる教授萌え勢、インテリ萌え勢は、冷静に聞くと支離滅裂論理でも、知ったか風に弱いんですよ。おばあさんの耳元を誉めたところは、プロです。耳元確かに美しかったし、セクシー。先生通りすがりにさらっとキスしてくるらしいし、シゴロ感が凄い。とにかく、沢山のお姉さまを幸せにしておられたという実録。

そして、ストライクゾーンの広さが、人生の充実と喜びを作ることを学びました。

途中、先生の哲学「虚構過ぎてもダメ、現実の説得力には負けるから、虚構とリアルのギリギリのところが創作の極意」的なことを仰ってて、なるほどなーと得心しました。あと子供時代にやってたイタコ業にて「亡くなった旦那さんは、奥さまのことが一番好きだったんですー」と必ず言うようにしていた発言に、人間のインサイトを自然につかむ力をお持ちのように感じました。

寂聴パイセンの百戦錬磨力にも感嘆。お見舞いで靴下を誉めて、病室をただならぬ雰囲気に持ち込む術。メモしました。

グレイトモテモテマン伝説、勉強になりましたっ!
shibamike

shibamikeの感想・評価

3.5

このレビューはネタバレを含みます

157分と割と長尺の本作(Filmarksでは137分となっている、何故!)。
久しぶりに映画を観るのが退屈で苦痛な映画だった。
やっと上映が終わった、とホッとしたら原一男監督とアーロン・ジェローという日本映画研究家の方のトークショーが始まったのだが、「トークショーは1時間です」とアナウンスを聞いた瞬間、自分の尻は四方八方に破裂してしまうと危惧した。とにかくゲンナリした。

が!トークショーのトークを聞く内に本作の意図するところや小説家 井上光晴という男がいかに虚構に徹底していたか、などを垣間見ることができ、「この映画が退屈なのではなく、自分の鑑賞眼の未熟さ故か!ぐぎぎ。」と下唇を噛みしめながら劇場を後にした。

映画の内容は、小説家 井上光晴(自分は知らなかった)の晩年を追ったドキュメンタリー。

この井上光晴であるが、嘘八百ばかりの嘘つき野郎。「生まれは満州、父が蒸発したので中学へ進学できなかった、初恋の相手は朝鮮人で女郎部屋で働いていた」などなど聞き手のこちらが一瞬「へぇ」と興味を持つような話をするのであるが、全部嘘、と映画で明かされる。

「正直こそ正義」と信じて疑わない自分にはこのおっさんが理解できなかった。
が、どうもトークショーの話なんかを聞いたところ、このおっさんは「小説家 井上光晴というキャラを作るために嘘をついているのではなく、自身の人生そのものを虚構(フィクション)としてまっとうするために、そういった作り話をしている」といったような話があり、ショック。

劇場の特別プレゼントで原一男監督の本作製作録の本を貰ったのだが、帯に書いてある井上光晴の言葉↓にまたショック。
「フィクション(虚構)の本質をひと口でいうと、現実よりも激しい物語を作ることなんですね。事実より強い嘘を吐けるかどうか。たちまちばれる作り話とか、見え透いた嘘が嘘であって、墓場まで持って行く嘘は嘘じゃない。それが小説の何よりの要素になる」

"事実より強い嘘"。鋭い鈍器のような矛盾があるようなのに、自分はこの言葉に面食らった。ここまで考え突き詰めている人なのかと、見直した。やるじゃん、光彦。あ、光晴。

あと、光晴の話で勉強になったのは「人間は例えば自分の物語を作ろうとするとき、自分の都合の良い過去を適当に抽出して作りがちだ。自分にとって都合の悪い過去は隠す(恥ずかしいから)。一見、過去の事実しか述べていないようでも、これもフィクションである。」というような話。もうそうなってくると何もかもフィクションじゃん。

映画には光晴を慕うレディが結構な人数(4,5人)出てきて、いかに光晴が魅力的かということをメスの顔で語るのであるが、こちらがちっとも羨ましくならないレディ達だったので、自分の心は穏やかな凪。これが丸の内OLや姉キャンモデルみたいな美女ばかりであれば、「冗談じゃないよ!」と自分は嫉妬の業火で焼身自殺していたかも知れない。

この映画の見所として、"瀬戸内寂聴"の登場がある。寂聴と光晴は親交があるらしく、お互いに病院へお見舞いに行ったりするシーンが見られる。
光晴がガンで亡くなり、光晴のお葬式が流れ、寂聴の弔辞でこの映画は終わる。
かなりの数の参列者が訪れている立派なお葬式で、寂聴の弔辞は結構踏み込んだ内容。
「男と女の間にセックス無しの友情はあり得ない、と考えていた私でしたが(普通、逆じゃないの?)、あなたと私の間の友情はセックス無しの稀有な友情でした。」みたいなことを本当に言っており驚き。今、言う必要ある?

で、で、で!
自分はこのシーンに関してのトークショーの話で目玉が飛び出しそうになった。原監督がわざわざ声を大にして言った。
「寂聴さんと井上さんは関係大ありですからね。寂聴さんのあの弔辞こそフィクションなんです。」

自分は今まで経験してきたもの、すべて嘘だったのではという気がしてきて、人間不信というか世の中不信。

(あと、オープニングの女装踊りは何だったのか)
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