地平線が真ん中だと、死ぬほどつまらない。
巨匠スピルバーグ監督の自伝映画。彼の"撮る"ことへの情熱、その原点がよく分かった。
初めて観た映画の中で、列車の衝突シーンに心奪われる少年サミー。
スクリーンから放たれるスペクタクルを直感的に受け取ってしまうあの感覚、映画好きなら共感せずにはいられない。
大学時代、映画史の講義の中で「写真とは"世界を切り取る装置"である」と習ったのを思い出した。
世界のどこを切り取るか、何を映すか。
目の前で起こる事象、その時点ではまるで無意味なこの世界を、人の手で"切り取る"ことで意図が介入し、意味やメッセージを持つようになる。
これはサミーの母親が口にしていた、「全ての出来事には意味がある」という言葉にもリンクしていたのかなと思ったり。
サミーはどんな状況でも、両親の離婚劇でさえ、切り取る=映画を撮ることを欲していた。
彼にとってはそれが世界を理解するということ、とりわけ"全ての出来事に意味を持たせる"ために欠かせない事だったのかなと思う。
いじめっ子でさえ、サミーは"撮る"ことで理解しようとしていたし、結果的にそれが相互理解へと繋がっていった。このシーンは凄くシンボリックで印象深い。
ラストショットは洒落ててお見事。これこそが本作の真意だろう。何をどう撮りたいか。この情熱がある限り、映画の夢は無限に膨らんでいく。
映画愛を刺激され、スピルバーグ作品を隅から隅まで見返したくなる作品だった。
ところで、人生初の映画館貸切状態で、独り占めできたのは最高やったけど、この映画"なのに"1人しか客が入らない日本の映画業界が心配になった…