このレビューはネタバレを含みます
スティーヴン・スピルバーグが自分で撮った自伝映画。
“フェイブルマン”は主人公の苗字だが“寓話”と掛けているらしい。
ロードショーの時も最近は外国映画があまりTVで宣伝されないが、『フェイブルマンズ』なんてタイトルではスピルバーグと結び付かないので、Filmarksでちょこちょこ見掛けなかったら、この映画の存在を忘れるところだった。
Amazonに上がってきたので早速視聴しました。
151分と長い映画だが、スピルバーグの家族の話が描かれている。
サミーは小学校の低学年で初めて観た映画『地上最大のショー』の列車衝突シーンを、父親の8mmカメラで当日に再現してしまう天才少年。
その後、父親の仕事の関係で一家はアリゾナに移るが、サミーはこの地でボーイスカウトに入り、団の仲間と映画を撮りまくる。
最初の駅馬車強盗の映画はよく出来ているが、崖から人形を落とす手が映っていたりしてかわいい。
次の作品は大作で戦争物。短編なのに戦争の無常観がよく出ている。
あの主演の子は勘違いして俳優を目指したりはしなかったのだろうか。
2作品ともアリゾナの地形を駆使して、砂を効果的に使っているところも上手かった。
それだけでこんなに上映時間は長くはならない。問題は家族の方だ。
一家にはサミーが生まれる前から家族付き合いをしている父の親友ベニーがおり、彼はアリゾナにも父が呼んでついてきたのだが、あろうことか、このベニーと母親が思いを寄せる仲になる。
しかも、家族の中でその事に一早く気付いたのがサミーなのだ。
サミーには妹が三人いるが、普通こういう母親の色恋なんて娘の方が先に気付きそうだが、サミーが家族フィルムの編集をしていて気付く、というところが面白い。
あの編集フィルムを母親に見せたところは、映画的なフィクションだったかもしれないけれど。
その後、サミーが高3の頃に、父親がIBMへの転職が決まってロサンゼルスに引っ越すことになり、母親は家族と着いてきたのだが、ベニーと遠く離れたことよって自分の気持ちがハッキリしてしまい、とうとう離婚騒動に。
妹達が泣き叫んで怒る中、既に母親の心の裏切りに気付いて一悶着あったサミーは、この光景をもし撮影するならどう撮るか…と密かに計算してしまっている自分に気付き、驚愕する。
先日祖母が亡くなった時に訪ねてきた大伯父が、
「芸術はお前に輝く栄冠をもたらす。だがその一方で、胸を裂き、孤独をもたらす。砂漠をさまよう放浪者になるぞ」
と励ます様な、警告する様なことを言って帰っていったが、
それは事実であるとサミーが最初に悟った瞬間を、この一瞬でよく表現していると思った。
ロサンゼルスの高校では、1960年代で、サミーがユダヤ人であるという事で揶揄われたり、差別される。
アリゾナではボーイスカウト団にメキシコ系の子も居て、みんなで仲良くやっていたというのに。
ロスでは黒人の生徒も、確か2人くらいしか画面に映っていなかった。
ここでは虐められていたサミーだったが、卒業前の遠足を記録するフィルム係になり、プロムで作品を披露する。
フィルムでは、サミーを虐めていたローガンがまるで主人公の様に、その腰巾着のチャドはお笑いの落ちになる様に編集されていて面白く、大盛り上がりしたのだったが、
プロム後、ローガンから「なぜ俺をあんな風に神々しく撮ったんだ。現実と違うのに」と責められる。
ローガンって、自分から目立ちたいと思っている奴じゃなかったのね。家庭環境悪いのに人知れず頑張っていたのかも…と思った。
しかし、自分をいじめている人間を、作品のクライマックスを考えるとヒーローとして撮らずにはいられない監督としての性や、普通だったら何の変哲もない遠足の風景をあんなに楽しい作品に仕上げてしまうなんて、やっぱりスピルバーグって天才!と思った。
高校卒業してからは、いよいよ『激突!』を撮るまでをサラっと流してくれるのかと思ったら、ジョン・フォードと会ったところだけだった。
ジョン・フォードを、全く作品のキャラが違うデイヴィッド・リンチが演じていたのが面白い。スピルバーグと友達なのだろうか?
フォード監督、ランチと言いながら顔中キスマークだらけで、いったいどこに行ってたんだ?
…は置いといて、しかしここでも、ジョン・フォードから映画的アドバイスを貰えただけでなく、またもや、
「映画を撮りたいのか。心をズタズタにする仕事だぞ」
と声を掛けられていた。
これは、現在76歳のスピルバーグも実感したことだったのだろうか。