大島育宙

恋のいばらの大島育宙のレビュー・感想・評価

恋のいばら(2023年製作の映画)
3.6
試写で鑑賞。

三角関係とかラブコメサスペンスとして売るのは宣伝の正攻法だと思うけど、それ以上に「撮ること/撮られること」という、現代でより切実なテーマがある。大袈裟に言えば『NOPE』、身近な例に照らせば『よだかの片想い』に通ずる。

テーマを背負う名シーンを2つ挙げる。
(表現に気をつけるが、微弱ネタバレあるかも)

①自身も露出の多いコスチュームを纏いながら半裸のコンパニオンたちとは一線を引いている玉城ティナがスマホのシャッター音に敏感になるところ。

②玉城ティナがとある機転を効かせるタイミングで、自分に向けられてきた攻撃/加害/支配としてのかめらのレンズを同じように持ち替えて反撃する。そこで残った写真は加害者を攻撃/断罪/嘲笑するでもなく、シスターフッドの「具」「おかず」として消費される。(嘲笑はするが、彼の愛らしさ、鈍さ、愚かさ、ダサさを愛嬌として2人で消費している)

いずれも「撮る」が職業の彼に対して踏み込めない「男女」以上の傾斜を読み込むことで、物語が多層的になっており(原作未見だが)リメイクの意味を感じる。(その改変により構造が見えにくくなっているという批判もありえるし、わかるが、それだけ単純な改変なきリメイクならやる意味があまりないかも)

ストーリーがツイストするまでの前半はありがちな2000年以降の「過激」と銘打つ邦画っぽい感じだけど、後半〜終盤にかけてシスターフッドのテーマが前面に出てくる迫力が強かった。ラスト、主人公2人ではなくとある人物を交えた広義のシスターフッドに拡張していくのが面白い。(彼女は健太朗サイドではないのだ。)

中島歩さんは『偶然と想像』『よだかの片想い』に続いて3連続で特権性への自覚鈍めの男性の役で笑ってしまった。顔の直線的な前向性(矢印のような顔)と低く甘い声のギャップがぴったりなのだと思う。いや、どういう性格俳優?

女子が主人公の映画でおとぎ話を伏流にするのはもう食傷に感じる。よく見るなあ。最近だと『そばかす』でもありました。