櫻イミト

REVOLUTION+1の櫻イミトのレビュー・感想・評価

REVOLUTION+1(2022年製作の映画)
4.0
安倍元首相銃撃事件の犯人をモデルに描いたフィクション。監督は元・若松プロで日本赤軍の足立正生。主演は「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2008)で「みんな勇気がなかったんだよ」と叫んだタモト清嵐。

何不自由ない子供時代を送っていた川上哲也(タモト清嵐)は、父親の自殺、そして母親の統一教会への入信によって生活が一変する。母親の数千万に及ぶ献金が原因で哲也は大学進学を諦め、さらに兄が自死。希望をなくした哲也は教団への復讐を誓い拳銃を自作する。。。

若松プロ映画の発する過激な主張、そのタブーに触れるような緊張感を久々に抱きながら映画館に向かった。果たして、若松プロ作品へのオマージュを込めた、さらに過激な一本だった。

主人公が憎しみを抱く統一教会。その創始者、文鮮明・韓鶴子夫妻の写真が何度も映し出される。そして夫妻が創設した天宙平和連合を称える安部元首相本人のビデオ・メッセージが繰り返し流される。昭和の時代ならば右翼の襲撃で上映不可能だっただろう。大きな妨害事件もなく上映されている点では日本社会は自由と言える(そのノンポリ加減がガーシー議員を生んだのかもしれないが)。

映画は犯人に同情的に描かれていた。ただし実際の事件の詳細は明らかになっていないため、なぜ銃撃したのかを考察して創ったフィクションであり、監督と脚本家の思いが重ねられていたと思う。足立監督によれば、かつて暴力革命に失敗した経験から、本作は思想革命に踏み出す第一歩という意味で「+1」と名付けたということ。しかし、かつての若松プロが行っていたことは既に思想革命運動だったし、本作は原点回帰のように思える。ラストの恐山のシーンは明らかに「犯された白衣」(1967)へのオマージュだった。当初のシナリオではラストは国葬の爆破エンドだったとのこと。その落とし前の付け方はかつての若松映画そのものだ。

低予算で撮影は6日半。出演者の方々の芝居はぎこちなく映画的完成度は高くはない。それもまた若松プロのピンク映画時代を彷彿とさせる。時代に反応して映画で即座に意思表明を打ち出す。その熱量は伝わってくる。テレビメディアでは不可能なバランスを欠いた過激な主張だが、映画だから発信でき残すことが出来る。

足立監督による撮影プランは「密着して撮る」「心の中を描くときは雨を降らせる」の2点。その通り、特に前半はアップからミドルショットの画が続く。受ける印象は主人公(同時に制作陣)の視野の狭さだ。家庭境遇から社会の片隅に追いやられ人間関係は乏しくなり社会性が失われていく。日々関係性を切り結ぶ相手は憎しみの対象である統一教会と安部元首相への妄想だけだ。やがてそれは自我の一部となっていき、自分を変えるためには自分の中の憎悪を消滅させなければならず、すなわちそれは相手を消滅しなければ達成できないという人生の課題となっていく。

このプロットは大江健三郎が封印した初期小説「セブンティーン第二部 政治少年死す」と同じだ。若松孝二監督が映画化を望み実現できなかった“山口二矢テロ事件”を題材にした小説だ。足立監督は本作で若松監督の遺志を実現したと言える。若松プロの映画は全て“個的闘争”を描くものであり本作は集大成的作品とも言える。

主人公の前に現れる他者が女性だけだったことが気になる点だ。母親、妹、ブルーハーツ好きの娘、革命家二世の女性。彼女たちの存在が主人公を相対化するのだが、男性同士のような強い対立は起こらない。銃撃に至る前に男性との対立なり友情なりがあれば主人公の運命は変わっていたと思う。そのことをシナリオ演出で意識していたのかどうか?

「心の中を描くときは雨を降らせる」演出、「星になりたい」とつぶやく台詞は、ただでさえセンチメンタルなところを、何度も繰り返すのは個人的には頂けなかった。それを差し引いても、映画製作のタイミングと上映までのスピード、誰にも忖度しない過激な内容は、誰にも真似できないことであり唯一無二の作品として評価したい。

今年1月には個的闘争を続けて来た“愛国者”鈴木邦男氏が、今月には個的闘争文学の始祖、大江健三郎氏が亡くなられた。闘争の時代の終焉を痛感する中、足立正生監督は83歳にして過激な一本を作り上げた。インタビューではまだまだ制作意欲があるとのこと。ぜひとも、今回は回避した爆破エンドの、若松プロから連なる新作を期待したい。
櫻イミト

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