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聖なる証のAPlaceInTheSunのネタバレレビュー・内容・結末

聖なる証(2022年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます


 映画撮影スタジオらしき場所に配置されたセットの家屋が写しだされる所からこの『聖なる証(the Wonder)』は始まる。そこでナレーションがこのように語る。
〈貴方達がこれから出会う登場人物達は自分自身の物語を全身全霊で信じている。私達は物語あっての存在。だから皆さんにこの物語を信じて欲しい。〉

大概のフィクション映画は、観客を作品内に没入させたいと考える。観客に実体験であるかのようにストーリーに没入させ、終わった時にようやく現実に戻る。そんな映画体験をさせたら大成功と考える。

しかし本作はそうしない。上述のように映画撮影スタジオのセットを写したその後、カメラが横にパンしてそのままシームレスに映画の舞台〈1862年のアイルランド〉に移る。
意図的に〈物語〉≒〈創作物〉である事を観客に強調する。

本作は〈物語〉が主軸となり話が展開する。〈物語〉の威を借り権力を維持しようとする者。〈物語〉にすがりつかなくては存在できない者達。〈物語〉を押し付けられ静かに殺されようとする弱者。

約100万人の国民が餓死したとされる1840年代の英国大飢饉。その余波がいまだ残る1862年のアイルランドの、都会から途絶した田舎町にロンドンから看護婦エリザベスは派遣される。その目的は、四ヶ月何も食べていないという奇跡の少女アナを観察するため。
医学を学んだエリザベスは(現代を生きる我々観客も)そんな事が起こりうるとは信じがたい。
村長や医者や教会の神父からなる評議会が存在し、どうやら彼らが村の有力者の
ようだ。評議会の面々の話を聞いてみると、〈その少女には奇跡が起きている。敬虔なキリスト教徒の家族に生まれた少女に起きた奇跡。家族も、村の教会野重鎮達もこの〈物語〉を信じている。彼らは看護婦エリザベスにこの奇跡を証明するため彼女にアナを観察してもらいたいのだという…。

この映画『聖なる証(the Wonder)』を観終えた後に「wonder」と「miracle」の違いを調べてみた。
「miracle」:「超自然的な力に起因する物理的な世界で発生する素晴らしいイベント」
「wonder」:「驚きや畏怖の念を起こさせるもの; 驚異。」
共に奇跡の意味を持つが、wonderは畏怖の念を起こさせる事が強調されている。
評議会の重鎮達は正に、wonderが引き起こす部外者からの畏怖の念を利用している。
それにより自分達の地位・権威を守ろうとする。
では家族も周囲野人々もそれぞれの理由で〈物語〉に加担し、あるいは盲信しているようだ。奇跡の少女アナ本人も…。

物語の中盤、エリザベスがアナと家族同然に同居する農婦のキティに尋ねる。
エリザベス「アナが絶食する前、最後に何を食べたの?」
キティ「聖体拝領のパンよ。アナの誕生日と初聖体が同じ日だったから。」
エリザベス「え?小麦と水だけ?」
キティ「そうじゃない キリストの肉体と血よ」
エリザベス「物語じゃなく事実が必要なの。」
アナの家族はアナが奇跡の少女である事を信じている。否、信じようとしているように見える。彼女らに科学的な事実など必要なく、この村社会の中で自分達が存在するために聖なる奇跡の物語こそが必要なのだ。

このように本作では
科学的事実⇔(宗教的)物語
都会イングランドの首都ロンドン(から来たエリザベス)⇔イングランドに搾取されたアイルランドの、さらに都会から離れた地方の村
プロテスタント⇔カトリック
といった二項対立が分かりやすく描写されている。

本作が語る主題は古典的・哲学的問いでもあり、この1862年のアイルランドの村社会はコロナ禍後の現代社会への鋭いアナロジーでもある。
村社会の中で権威を振りかざす教会の神父や村長達、評議会の面々が長机にずらりと並んで座る。
向かいには看護婦エリザベスと修道女の二人が立たされ、質問される。この構図に男性優位社会が視覚的にも描写される。

【以下ややネタバレあり】
終盤でアナとその家族が、アナと死んだ彼女の兄に纏わる痛ましい事実が示される。家族にとって外聞できない汚点であり罪である。
さらに家族は一族の汚点を抹消し、体裁を保つ為に聖なる奇跡を起こす少女アナの物語を捏造する。前述したとおり村の有力者達は物語を利用するため加担する。
アナは兄との関係性において深い喪失と痛切な傷を抱えているにも関わらず、家族や村から物語を押し付けられ言わば2重の抑圧を受ける弱者でもあるのだ。

この映画で語られる主題はこのようにとても普遍的で興味深いが、手法・演出についても素晴らしい。
撮影は大傑作「パワー・オブ・ザ・ドッグ」も手掛けたアリ・ウェグナー。アイルランドの荒廃した田舎の風景を、自然の厳しさと美しさを同時に感じされる素晴らしい撮影。国の色、緑にどこかアバンギャルドな印象の色彩が足されているように感じるのは村社会の禍々しさを表現しての事だろうか。
「絵になるショット」が多く、室内で人物を捉えたショットはどれも中世の宗教画のようだ。

電子音楽をストイックに追及するマシュー・ハーバートの劇伴も素晴らしい。不協和音のようなダーク・アンビエントにときおり女性野悲鳴の様な音がなる度に、不穏さ・異世界感がいっそう高まる。

映画が語るテーマ、撮影、音楽いずれも好みで、心底、映画を堪能した。

アナと家族の葬られた事実を知ったエリザベスだが、彼女もまた愛する娘と死別し大きな喪失を抱えている事が徐々に明らかになる。
静謐で時に陰鬱とした語り口の本作はラストにかけて、喪失を抱えた孤独な者達の再生のドラマとしてドライブしていく。

〈物語は人を殺し、物語は人を生かす〉

新しい家族の旅立ちの時。名前を聞かれたアナが、少し言い淀んだあとに新しい名前を自ら口にする。
その瞬間に彼女は本当に新たな人間として生まれ変われたのだ。
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