原作は、宗教ミステリの傑作と呼ばれる。
・規律
・信仰
・異端審問
・性愛
テーマはこんなものだろうか。
・雰囲気、キャストがいい
ショーン・コネリーの渋かっこよさ、若き日のクリスチャン・スレーターの純朴さ。
それにくわえ、雰囲気、絵作りがとても重厚。中世という時代の演出が伝わる。静かで淡々と進むからこそ、ストーリーに集中できた。
ショーンコネリー演じる彼が、キリスト教の歴史で重要な図書を発見し大喜びしている姿が、私には印象的だった。知を求める男の狂喜が良かった。薔薇の名前というタイトルの意味も沁みてくる。ある男の個人的な思いが、強く後に残る。
・変さ
見ていて、変わった人間が多かった。ただでさえ、修道会というわたしたち現代日本人には、まったく馴染みのない空間である。それなのに、どんどん変な登場人物たちが登場する。
空間も人も異常だ、と私は感じた。外側を徹底的に排斥するという規律、そして、それに付き従う人間たちの振る舞いには、やはりどこか怖さを感じた。
ここで外側の存在なのは、映画内の非信仰者である貧しい者たち、そして見ている私自身だ。どうして変だ、異常だと感じてしまうのだろうか。
「常識」による「正常」が、無意識に刷り込まれているからか。その無意識性から人は逃れられない。異常も正常も実態はなく、単なる “概念” であるずなのに。
・信仰という空間
常識という空間にとらわれている私たちと、信仰という空間にとらわれている修道士たち。違いはあるのかほとんど差はないと思う。
何を信じているのかという違いはあるが、それは本質ではない。
だから、信仰に良い悪いという価値観を押し付けてはいけない。たとえば、カルト宗教へのイメージは悪いが、認められている宗教とカルトの間には本質的な差はない。歴史があるかないかの差に過ぎない。
外から見れば異常なほどの「思い込み」という軸は、共通のものだろう。
「誰かの常識は、誰かの非常識」という言葉もある。
違いがあるように見えるのだとすれば、微妙なバランスの違いなのだろう。意志や自由をどうとらえるのか。なんにせよ、白黒はっきりとはしない。これら人々の微妙なバランスの表現が、この映画からは感じ取れた。
宗教空間の本質は、やはり人の思いだ。それならば、思いが違えば亀裂が生じる。壊すのもまた、人の思いというわけだ。この物語では、そうして空間が壊れ、悲劇に繋がる。白黒つかないものに、無理やり境界を作ろうとした結果の悲劇に見える。
・原作の凄さ
私は原作は未読だが、ヤバい本らしい。キリスト教への教養がないまま読みこなせるのか不安である。なぜそれほど、歴史に名を残した本であるのかは、こちらの考察が詳しい。やはり難しそう。
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