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ココ・シャネルのodyssのレビュー・感想・評価

ココ・シャネル(2008年製作の映画)
3.5
【分かりやすさの長所と短所】

「ココ・アヴァン・シャネル」と比べると、いかにも映画的な作りです。デザイナーとして彼女がのし上がって行くところがきわめて分かりやすい。途中の男関係も分かりやすい。

第一次大戦の描写がそれなりにあるところは、はっきり「アヴァン・シャネル」より優れています。時代との関係が明示されているということですね。

ただ、バルサンとの関係で、結婚を彼がしてくれないと憤激するところは、どうでしょうか。
第一次大戦前の、まだまだ階級意識が濃厚だったフランス。名門で金持ちの男が、事実上のみなしごであるお針子を正式な妻に迎えるということは、考えにくいのではないでしょうか。むしろシャネルはいわば囲われ女になることを承知の上でバルサンと関係したと考えても不自然ではないでしょう。

同様のことはボーイとの関係でも言えます。結局彼は別の女と結婚してしまうのですが、結婚というものが恋愛の結果なのではなく、上流や金持ちの男にとっては自分と同格の女性との結びつき――いわゆる閨閥をもふくめて――であるというのは当時は常識であるはずで、「アヴァン」のほうがそういう男の矛盾した振る舞い方はよく描けていたように思います。

言い換えれば、「ココ・シャネル」のほうは、今風に通りやすく筋書きが設定されている。ですから、「ココ・シャネル」が「アヴァン・シャネル」より分かりやすいというのは両刃の剣のようなもので、分かりやすいから観客には受けるでしょうが、分かりやすさは真実とは逆である場合が多いことも考慮しておく必要があります。

配役では、ボーイ役のコジモ・フスコ(?)が圧倒的に魅力的。「アヴァン・シャネル」では、ちょっと取り澄ました感じのあるボーイ役より、バルザン役の方に味がありましたが、こちらは逆ですね。

「アヴァン・シャネル」のほうの感想にも書きましたが、「アヴァン・シャネル」はシャネルが有名になる以前を描いています。フランス語のアヴァン(avant)とは英語のbeforeと同じ。つまり「ココ・アヴァン・シャネル」というタイトルは、「シャネル(として有名になる)以前のココ」ということです。ですから、「ココ・アヴァン・シャネル」に成功物語を期待するのは的はずれで、むしろ方向が定まる以前のココを描くことに重点が置かれているのです。そういう不安定な状態の女性を描く場合、後年の有名なデザイナーになることを前提に話を作ってしまうと、かえって話が単純で分かりやすいが故に、どこか嘘臭くなる危険性がある。「ココ・アヴァン・シャネル」はその危険性を回避しましたが、そのために単に成功物語を期待して映画館を訪れた人には分かりにくくなるのでしょう。言い換えれば、「ココ・アヴァン・シャネル」はそれだけ芸術的なのです。

それに対して、この「ココ・シャネル」は芸術ではありません。これは成功物語そのものであり、芸術の対比物としての娯楽であり、その意味で映画チックな作品なのです。
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