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怪物のnetfilmsのレビュー・感想・評価

怪物(2023年製作の映画)
4.2
 これは家族の物語というよりは、ある学校で起きた「いじめ」に関するそれぞれの見解を当人あるいは家族や教師の立場から浮かび上がらせた映画ではないか。一つの出来事が別の視点で据えられた時、そこには他人には「視えていない」視点があり、三者三様の記憶を手繰ることで物語に重層的な深みが生まれ、真実が炙り出される。いわゆる『羅生門』スタイルを現代的な構造や学校問題の中で浮かび上がらせたとも呼ぶべきか?息子を愛するシングルマザー麦野早織(安藤サクラ)は早くに夫が他界し、一人息子の湊(黒川想矢)と二人三脚で生活している。現代的な母子の姿といえば良いだろうか?早織は湊をあまり叱ろうとせず、湊の自主性に任せようとする。心配事はあるが過干渉しようとしない。息子の湊もいわゆる思春期の教室で起きる問題の当事者となるのだが、どこかバツが悪そうにも見える。湊を受け持つ担任の保利先生(永山瑛太)もまた、昨今の学校のシステムでバツが悪そうに振る舞う。登場人物たちはみな自分たちが置かれた立場にあまり自覚的ではなく、居場所を失いかけている点がひどく印象的だ。その癖、それぞれの社会的立場を全力で死守しようとする。校長や教頭の事なかれ主義やポジション取りはその典型的な姿で、旧態依然とした社会のシステムと現実との摩擦についていけない人々や居心地の悪さを感じる人々は案外多いのではないか。

 3Fにガールズ・バーの店舗が入るビル火災の火柱が物語の起点には置かれ、これがみたび繰り返される様子は不穏という他ない。とはいえ是枝裕和も坂元裕二も事件のあらましを追うことにはほとんど関心がなく、平穏な街の中心に起きた「憎悪」のようなものと見ることも出来る。空洞化し、ひたすら疲弊して行く心のメタファーであり、ストレスのはけ口として消費されるだけの一次的な時間。そこに保利先生が通っていたという妙な噂も回り出す。子供にとって両親は一番小さな社会の規範であり、担任の存在も社会という枠組みの中では最初の規範として定義されるはずだ。同調圧力の村社会のような小学校で、生徒たちはこのような大人たちの間柄や関係性を知らないはずがない。空気は教室の中に流れ、誰かに対するいじめを放っておけば見て見ぬふりをしたツケが帰って来る。人間誰しも勘違いや思い込みはある。他者との関わり合いの中で糾弾してしまった出来事が、早織がどれだけ普段温和な人であろうとも、学校側にはモンスター・ぺアレントと取られないとも限らない。そしてその母としての高貴と思われる振る舞いは息子の湊のことを呪いの言葉のように縛り付けてしまう。自分らしくあらねばと問う登場人物たちは事件の深い深層に触れる度、不意に自分らしくいられなくなる。

 父親に呪いの言葉を浴びせられた星川依里(柊木陽太)もまた「自分らしく」の葛藤に縛られ続ける。良い息子たれと望む前に我々は同時に「良い親なのか?」を自問自答せねばならない。怪物というのは普段、社会で暮らす中で浮かび上がることのなかった「もう1人の自分」であり、「自分(私)らしく」を課せられる自分が気付いた「本当の自分」でもある。今作を強引に3章仕立ての物語とするならば、正直言って1章の強引な展開と役者たちの素っ頓狂な演技にはかなり興醒めしたのだが、2章3章と観て行くうちになるほど、これは途方もない複眼的で厄介なものの見方に我々観客はいざなわれたと感心した。是枝裕和の映画というのはいつも「弱者」と「強者」の位相をいとも巧みに逆転させる。子供や女性だけではなく、大人の男すら不幸な運命には抗えぬ。後半、トロンボーンの音の意味が明かされる場面には流石に「おぉっ」と唸らされた。然しながら坂本龍一の既発曲を場面ごとにあてがう辺りは教授ファンにしてみれば反則だと思う。あらためて坂本龍一氏に哀悼の意を表し、謹んでお悔やみ申し上げます。
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