「パンドラ創立31周年特集上映」にて鑑賞。ナチス党大会の記録映画『意志の勝利』、ベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』の女性監督レニ・リーフェンシュタールの足跡を追う長編ドキュメンタリー。
映画監督だけでなく、女優、写真家のいずれにおいても一流の才能を発揮した彼女だったけれど、その才能ゆえにヒトラーに認められたことからナチスの協力者と見られ、世間から黙殺された。
レ二はただ良い作品を作りたいと一生懸命仕事をしただけであり、ナチスだって残虐非道な組織だと知らなかった、『意志の勝利』は平和がテーマだ、という。
182分の長尺ということもあり、かなりウトウトしてしまったけれど、『意志の勝利』とか『オリンピア』はこのドキュメンタリー映画だけからみても素晴らしいのではないかと思うし、それだけにナチスのプロパガンダとして機能したということも良くわかる。
レ二の作品は完全に消去されない限り、何百年、何千年後、再評価される機会があるかもしれない。しかし、レ二がナチスの実態を知っていようといまいと、結果的に非道で残虐な行為を実行した組織の正当化、美化に加担したという事実は否定できない。
レ二は<1970年代以降、アフリカのヌバ族を撮影した写真集と水中撮影写真集で、戦前の監督作品も含めて再評価の動きも強まったが、ナチス協力者のイメージは最後まで払拭されなかった>(ウィキペディア)といい、この映画では写真集の撮影の様子も記録されている。
しかし彼女が戦後、世に示すべきものは、アフリカの少数民族や水中動物の写真ではなく、自らやってきたことの総括だったのではないかという気がする。
<私自身にも経験があることだが、自分が受けたバッシングについて語るということは相当に難しい作業である。世間はあまりに自分のことを誤解しているという気持ちもあるし、できればそれにふれたくはない、あるいは、ふれてもらいたくないという気持ちが生まれてしまう。
私も、地下鉄サリン事件の後に激しいバッシングを受けた後、オウム真理教について一冊本は書いたものの、それでもう終わりにしたいと考えていた。
しかし、バッシングによるダメージから回復するには、10年近い歳月が必要だったし、結局は、『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー)にまとまったように、オウム真理教の問題に正面から取り組まざるを得なかった。それがなかったとすれば、今のように文筆家として生活を成り立たせていくことはできなかったに違いない。>(島田裕巳)
(http://agora-web.jp/archives/1454940.html)
結果的にナチスに加担してしまった人は、ナチスがとんでもないことをしているとは全く知らず(あるいは善悪を考えることを放棄し)、ただ自分のやるべきことを一生懸命やっていただけ、という言い方をするのだろうと思う。
それは本心だろうし、私自身、同じ立場だったら同じことを言うだろうと思う。しかし、過去の出来事を知ってしまった自分としては「悪の凡庸さ」に陥らない非凡な人間になることを目指しつつ、もしそれができかなったとしたら自分のしたことの総括をするということが重要なのだろうと思う。
そういう点で第三者によるこうしたドキュメンタリーというのは、ないよりもあったほうが良いことは間違いないのだけれど、当事者の記憶と気持ちを引き出すことはできていても、当事者に寄り添いナチスとは何だったのかについて向き合うところまで行っていない気がして、少し物足りなさを感じる。
●物語(50%×3.5):1.75
・レ二の再評価が主眼なのかもしれない。あと長い。
●演技、演出(30%×3.5):1.05
・『意志の勝利』『オリンピア』の素晴らしさは良く伝わってくる。
●画、音、音楽(20%×3.5):0.70
・よろしかったかな。