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劇場版 空の境界/第五章 矛盾螺旋のbluetokyoのレビュー・感想・評価

4.0
やっぱり、このシリーズ、100分を越えるぐらいが、最適な尺なんだな。見ごたえがある。

簡単にあらすじ。
逃げ惑う臙条巴。やがて、ヤンキーに追い詰められ暴行を受ける。
そこへ両儀式が登場。あっという間にヤンキーをやっつけ臙条巴を助ける。
ふと思うのであるが、いったい、なぜ、こうも都合よく、両儀式がいるのであろうか。
ここまでの話で、両儀式が猟奇殺人とか、オカルトっぽい犯罪に関わっているとあらかじめ見る者がわかっているからである。
案の定、臙条巴は、陰惨な殺人事件の現場から逃げてきたばかりなのである。母親が父親を刺し殺し、さらに、自分を刺し殺そうとしたので、その母親を刺し殺してきたのである。
ということで、臙条巴と両儀式は、両儀式の部屋で暮らし始める。なぜ、そうなるかというと、毎日のように通ってきていた黒桐幹也が運転免許合宿で一か月ぐらい不在だからだ。
ただ、黒桐幹也の代わりといえば代わりだが、そうではない面もある。つまり、黒桐幹也は両儀式に頼ったり、甘えたりはしないということだ。その代わりに臙条巴は、両儀式に頼ったり甘えたりする。
臙条巴は、事件が報道されると思い、駅前の掲示板を見に行くが、まったく報道されたりはしない。
これはなにかおかしい、ということで臙条巴と両儀式は、現場である小川マンションに行ってみる。
小川マンションでは、臙条巴の母親が父親と臙条巴を刺し殺し、自殺する、を繰り返しているのであった。
なんだこれは、であるが、そこに、荒耶宗蓮といういかにも強敵が現れ、両儀式は激闘のすえ、敗れて捕らえられる。
臙条巴は逃げる。
ここまでが前半。後半は黒桐幹也が戻ってくる。この作品の世界観は、黒桐幹也が構築しているので、出てくると、安心感が生まれるとともにつまらなくなる。なぜなら、黒桐幹也の出現は、解決フラッグだからだ。つまり黒桐幹也に都合よくできている世界なのだ。
荒耶宗蓮というのはどういう存在なのだろう。見るからに男である。小川マンションも持っているし。社会における男性性の象徴なのだろう。そういう存在に両儀式は奪われたわけだ。
社会的男性性の荒耶宗蓮に対抗できるとすれば、社会的女性性を持つ蒼崎燈子だ。
ということで、黒桐幹也と蒼崎燈子が小川マンションに向かう。
ところが、蒼崎燈子が一人で小川マンションに行ったとき、荒耶宗蓮+コルネリウス・アルバには負けてしまうのだ。
なぜなら、小川マンション自体が男性性の象徴だからだ。
今度は、黒桐幹也と臙条巴が、小川マンションへ。
黒桐幹也は正面から、臙条巴は地下から建物に入る。地下に入ったとき、臙条巴は自分がすでに死んでいて、実体がないことを知る。
それでも臙条巴は、荒耶宗蓮に戦いを挑む。無謀な戦いというわけだ。
ただ、その僅かな抵抗によって、日本刀が両儀式に渡り、反撃の機会を与えることになる。
小川マンションが荒耶宗蓮と一体になっていたので、あえなく、両儀式に倒されてしまう。
ものにしたと思った女から手ひどく逆襲をくらったということか。
社会の安定さよりも、若さゆえのまっすぐな気持ちが勝るということでもある。
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