カルダモン

せかいのおきくのカルダモンのレビュー・感想・評価

せかいのおきく(2023年製作の映画)
4.1
むかしむかし。人口爆発した江戸において、排泄された大量の糞尿を回収して近郊の農村へ売りにいき、そこで収穫された野菜を江戸に持ち帰って売り捌く汚穢屋(おわいや)という職業があったそうな。身も蓋もないが、人間は上から食物を入れ、下から出して生きる管。その循環で出来ている。人間社会もまた。でも、そこから見えるせかいは美しくつながっている。

汚穢屋男子の矢亮(やすけ)を演じるのは現在『シン・仮面ライダー』やソイジョイ(ベイクドチーズ味)で演技の幅を見せつける池松壮亮。バディ役の中次(ちゅうじ)を演じるのは本作で父・佐藤浩市と初の親子共演となる寛一郎。そして武士の娘であり、ある出来事により声を失った寺子屋女子のおきくを演じるのは古風ながら新味の魅力を放つ黒木華。

近年の邦画では珍しいモノクロ撮影であり、糞尿と手話(が確立する前のボディランゲージ)という時代劇ではおそらく描かれてこなかったであろう江戸文化の片隅にレンズを向けており、ささやかながらも意義深く、異色で意欲的な恋物語だった。メジャーな顔ぶれをそろえながらも映画の佇まいは非常にインディーズ感溢れる仕上がりで好感触。箍屋(たがや)、紙屑屋、傘屋など、リサイクル、リユース文化が発達していた江戸の生活から現代を見返す。そんなSDGs精神も入れ込みつつ、ことさら強調させていない控えめな塩梅もちょうど良かったように思う。
しかしながら糞尿に塗れた汚穢屋の生活描写と恋物語が少しばかり馴染んでいないように感じられ、軸足がどこにあるのかボヤけてしまった印象。

この映画は元々ショートストーリーから始まっているのだと後になって知りましたが、全十章の細かいエピソードを繋ぎながら進む構成だったのは成る程と思いました。章立てにするのならばもっと異なる視点があっても良かったような、という気はしますが。章の終わりだけカラーに転換するのもハッとするのだけど、絵的な面白さがもう少しあれば。また一方で声を失ったことで文字が読めない相手にどうやって気持ちを伝えるかという物語は興味深いし見せどころだと思うのだけど、そもそもおきくがなぜ中次に思いを寄せるのか、その想いがどれだけのものであるのかという熱があと一歩届いてこない。

いろいろ惜しいと思う部分もあるけれど、ビッグバジェットでは作られないような視点であったり無視されるようなテーマ性を拾い上げるのは大事だと思うし、こういう邦画がもっとたくさん作られれば良いなと本気で思う。劇場版〇〇みたいな消費されるだけの作品が埋め尽くす現状にはもうウンザリ。




余談
普段は洋画ばかり観ており、時代劇はどちらかというと苦手な私ですが、この映画の白黒のスチール写真が気になって、ほとんど前情報のないまま試写会に応募、一足お先に完成披露試写会にて拝見させていただきました。白状しますと最初は『せかいのおきく』ではなく『せかいのきおく』だと勘違いしており、壮大なタイトルだなと思っておりました。

試写会当日は黒木華、池松壮亮、寛一郎、佐藤浩市、阪本順治監督と本作の発案者である原田満生が登壇。本作は『YOIHI PROJECT』という企画の第一弾の映画であり、これは日本映画制作チームと自然科学研究者が協力して様々な時代と生活を映画を通じて描き、残していくというものだそうです。