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殺人に関する短いフィルムのfilmoGAKUのレビュー・感想・評価

殺人に関する短いフィルム(1987年製作の映画)
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【偶然】個人のメモ・雑記
キェシロフスキ監督の生前のインタビューは、氏自身や彼の映画に関する情報が実に多くのヴァリエーションに基づくという点を気づかせる。「ヴァリエーション」と言ったのは、「誤解」とも「思い込み、思い入れ」とも言い直せるが、いい意味で言えば、氏の作品の受容、理解が多様であるということでもあり、つまり、それは作品に対する各様のFavourite(「大好き」)があるということだ。氏が作品の一義的な解釈や、感情を排除した言葉への還元化に対して極端に嫌悪したように、それは氏自身が望む受容のあり様でもあったと思う。

この作品『偶然』については、面白い氏自身の言葉をここに記しておく。

氏はよく、自分が「偶然」をテーマにする作家の「権化 incarnation」のように言われることを多少当惑しながらも、インタビュアーに親切に、でもクールに突き放すように簡潔に答えている。とても氏の人柄が偲ばれ面白いなと思う。

それは、氏自身の、映画のテーマが「偶然」だとヒトから思われている、ヒトから言われ続けている点に関するもので、まず氏はきっぱりと「それは誤解だな」と断っている。そしてその誤解の元になっている氏なりに考えた理由をあっさりと話している。

「そもそもこの誤解の始まりは、僕はかつて撮影した、『偶然』という題名の作品があってね、それ以来さ。僕が「偶然」のスペシャリストだって、「偶然」が僕の映画作りの人生をかり立てているとか、僕が「偶然」を世界で一番大事だと考えているとか、それ以来、確かに人から言われるようになったね。「偶然」が世界で一番大切だ、映画のテーマだとは僕なら言わないよ。僕の映画に登場する「偶然」の数は、他の映画のそれと同じであって、それ以上でも以下でもない。」

「赤の愛」のラストがきわめて稀な「偶然」の一致だという批評家やこのインタヴュアーの指摘に対して氏は続ける。

「あなたは大きな誤解をしている。あの3篇(トリコロール三部作)の映画が撮影された理由は、あの6人が悲惨な事故から生還した人々だったという、まさにその点にあるんだ。いかなる偶然なんかにもよったんじゃない。」

氏はそこに、「神」や、何か「運命」と言ったものをほのめかしているようでもあるのだが、それについても独特のユーモアを交えて答えている。

「仮にも、神のような何かが存在していて、それが、僕らを取り巻くあらゆるものを創造したのだとしても、僕らは実に頻繁に毎日だってその創造主の手からもれて溢れ落ちてしまっている。例えば世界史だって、ポーランドの歴史を見てくれ、どんな歴史観に立とうとも、僕らがその創造主の手からいつも溢れ落ちていることは明らかだよ。」

【付記】ここフィルマークス掲載の写真は、DVDソフトのパッケージ写真で、『偶然』ともう一つ『殺人に関する短いフィルム』が収録されている。そちらのレヴューも何点かについて付記した。『偶然』 (1982年製作の映画) 2018/01/11 14:37 記

【殺人に関する短いフィルム】メモ。個人的な雑感。
氏の作品は、一部のドキュメンタリーを除けば数多くの作品群、ほぼ40作品ほど全てが鑑賞できるということは幸運であると思う。同時に、当然その作品が受容されていた状況に近づけて見るという体験はできないことをどう感じるかの問題は残る。劇場で観る、しかも氏が作品を発し言語を介したその母国の地で、その母語を話す人々の中に混じり、大抵の作品がテレビを前にしたお茶の間で受容されていた時代に、今、劇場で見る、あるいはインターネットやネット配信・レンタルで見る・・・ その需要の相が様々な中で氏の作品を見ることに違いはあるのだろうか?

キェシロフスキ氏の遺稿となった三部作「天国」「地獄」「煉獄」について、それぞれが受け継がれて映画化されている。「天国」は2002年の『ヘブン(Heaven)』、「地獄」は2005年の『美しき運命の傷跡(L’enfer)』、そして「煉獄」は2007年に『Naděje(希望)』として、それぞれを稿を改めて再度ブログ上で記す予定。

【ヘブン】個人のメモ・雑記
この『ヘブン』の映画化はトム・ティクヴァ監督によった。ティクヴァ氏の『ラン・ローラ・ラン』も氏からの影響大だと散々と言われて、監督自身も特に否定はしていないし、そしてそれが別に悪いことだとは思わない。この『ローラ』鑑賞から受けるのは、『偶然』とは全く異なる作品であるという点だ。氏の作品受容の相を想起させるような、人生の相は多様であり、『ローラ』が描くところもこの人生の多様・多角性を3点から描くという以外に同じとする点は別に見当たらない。にもかかわらず、全てが「偶然」のテーマと感じるという理解・解釈の一元化、悪くいえば「思い込み」というものは人によっては避けられないものなのかもしれないと感じレヴューなり評価・批判というものが厄介だなとも感じた。氏自身のインタヴューでも、一番大切なものと一番怖いものを、観客であり、その観客の無理解だと言っているのは印象的だ。
『ヘブン』を撮影したティクヴァ氏もこの遺稿の映画化に際して、他人の残した意志をそのまま作品化することはしたくなかったと言っている。独自の映像表現で独自の世界を目指したと強い意志を表明している。原作を読むと、確かに、それを可能にしたのか否か、そのティクヴァ氏が表明したことの真価を納得できる作品だと感じる。

【付記】『デカローグ 』(全十戒)
第1話 「運命に関する物語」/第2話 「選択に関する物語」/第3話 「クリスマスイヴに関する物語」/第4話 「父と娘に関する物語」/第5話 「殺人に関する物語」/第6話 「愛に関する物語」/第7話 「告白に関する物語」/第8話 「過去に関する物語」/第9話 「孤独に関する物語」/第10話 「希望に関する物語」表題の「第5話」と「第6話」が劇場映画用に再編集された。
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