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ペーパーシティ 東京大空襲の記憶のgenarowlandsのレビュー・感想・評価

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3月10日は10万人超の犠牲者のあった東京大空襲の日。
オーストラリア人監督が製作した東京大空襲の記憶のドキュメンタリーです。知らずにいたこと、聞いておかなければならないことを喚起されました。観てよかったです。

冒頭、アメリカ軍の「日本を空襲する軍歌」から始まります。歌詞の酷さから沸き上がる怒り。そして炭化したご遺体の数々。

1945年3月10日の夜間の空襲で10万人超が死亡。罹災者100万人。焼夷弾による無差別爆撃で東京区部の¼が焦土と化しました。その後5月までに5回の大空襲を受けています。

「この町に確かに生きて住んでいたことを遺すのが生き残った者の義務」と、
東京大空襲によって亡くなった方々789名の名前を碑に刻み、ご供養する森下五丁目町会。

空襲について語り続けるご高齢の方々。

「戦争で亡くなった市民の名前の碑を国が作っていない。他国では(ドイツ?)国が名前を刻んでいる。東京大空襲は、関東大震災の慰霊碑と合同になった」

「空襲がわかっていたのに知らされず、消火活動しなければならず、逃げたら犯罪になった。逃げ遅れて亡くなったのは国のせい。軍人以外にも市民に補償が必要」と国へ訴訟を起こし続けるご高齢の方々。

街宣車が集会の周りで「補償を請求するのはアメリカへ、日本国へではない」と叫びます。

皆さま、ご高齢です。

語り続けても、後の世代に語り継がれてこなかったのが映像からわかります。

今ある児童公園、広々とした公園、東京の至るところに10万人の死者を埋めていったと語ります。(戦後、掘り返し荼毘に付し慰霊堂に全て安置したことにはなっています)

カラックスがオムニバス「TOKYO!」で、華やかな東京の地下に戦争の残骸を描いていたことを思い出しました。

戦火を忘却し、死者の上で発展してきた東京。


散歩コースのお寺に炭化した大木があります。戦争を忘れないためにと遺され保存。郊外なのにその辺りは軍人が多く住んでいたので一帯が爆撃されました。

我が家は周りに人家が少なかったからか焼かれました。父は戦地、祖母は疎開、母は学童疎開なので、さいわいに空襲には家族誰も遭わなかったのですが、地面に埋めておいた食器が変形し、メモリアルとして遺してあります。父がアメリカ人にその器を見せていたのを今思い出しました。

語り継ぐ人が減っている東京大空襲のこと。聞いておかなければ、と思いました。観てよかったです。このドキュメンタリーのあと、空襲された地域を真っ先に確認しました。

📖東京への空襲は1944年11月から大空襲含め1945年8月15日降伏した当日まで、106回の空襲を受け、死者11万5千人、罹災者310万人、負傷者15万人、家屋85万戸が被害に遭いました。
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