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風の谷のナウシカの海のレビュー・感想・評価

風の谷のナウシカ(1984年製作の映画)
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幼い頃、どんな幽霊や悪魔の映画も怖がらずむしろ楽しんで観ていたわたしが、唯一心から怖いと感じたのが『風の谷のナウシカ』だった。母が一番愛するジブリ映画だったから、家にビデオテープもあって何度も繰り返し観ていた。そのたびにわたしは、怖いと思っていること、観たくないと思ってることをぎゅっと隠して、それ以上はできないほどひたむきに、ナウシカに向き合った。そのときのわたしは、世界のどこかに犬や猫を殺す人間がいることを知らなかったし、その一部が仕方ないとされていることも知らなかった、実際に戦争や憎しみが連鎖して続いていることも、そうして死んでいく人のほとんどが戦いたくはない人だったということも、殺さないでと懇願しても殺される命があることも、命を投げ出さないと、守れない命があることも、知らなかった。夜、布団に入って、わたしもいつかあの怖い火を見ることになるんだろうか、そうしたらナウシカみたいに大事なものを大事だって言って思っていられるんだろうか、怖いものにちゃんと怒れるんだろうか、わたしに誰かを守るほどの大きな力なんてあるんだろうか、考えるほどに涙がとまらなくなって、つかれて眠ってしまうまで唇を噛みしめて震えていた。
去年の秋に、薬局から出たところで羽根の傷ついた白鷺に出会った。「どうしたの」と声をかけると、鷺はわたしを見た後ゆっくりと歩いて歩道の方へと向かい、車道に出た。鷺が車に驚いて飛んだとき、はじめて怪我をしていることに気がついた。急いで歩道に出たけれど、車ばかりが通っていて、人通りも多く、もう手遅れだった。鷺は、速度を落とさずに通り過ぎる車に驚いて羽根をばたつかせ、また停まろうとする車にも驚いて逃げ、自転車で行く人は写真を撮ろうとスマホを構えて近づき、ついに鷺は民家の駐車スペースに追いやられた。野鳥の保護センターはそこから遠く、結局近くの交番に電話するしかできず、後から調べると警察官は野鳥保護なんてしないから交番にかけるのは間違ってるという意見ばかりがネット上には溢れていたけれど、そのときのわたしにはそうすることしかできなかった。来てくださった二人の警察官に羽根を怪我しているみたいなんですと伝え、大丈夫ですので後は任せてくださいと帰された。それから連絡は来ていない。どうなったかは知らないままだ。今でもあのときのことを思い出すと胸がつぶれそうになる。自分の無力さが、何かしたいと願うばかりで何もできていないことが、ひどく悲しくてつらくて許せない、そういうことが、どうしてと思ってしまうほど、本当にわたしのこれまでの人生には何度も起きている。
とても大好きだった人に、勇気を出してこの話をしたことがあった。今だから言うけど、あのときのわたしは、ほとんど許しを乞う気持ちでその話を持ち出した。そのひとは、「あなたが、あなたの猫や他の生き物の話をするとき、ナウシカの事を思い出す」と言って、それを聞いてわたしは自分をそんなに買いかぶって表現してしまっているのかと恥ずかしくなった。あなたには今必要な映画なのかもしれない、と返ってきた。それからずいぶんと時間が経ってしまったけど、今日、ナウシカを見つめていたわたしの目は、悲しさといとおしさで濡れていた。ナウシカの耳に光るピアスや、やわらかく優しい胸、風に乗る短い髪の毛、鈴の音みたいに内側からやってきて内側を満たしていく声の音、本物の海や愛や記憶をつれてくる青色、わすれていた何もかもがここにある気がした。あのひとが言ってくれたようにわたしはなれない、クリムトの描いた母にはなれないし、ナウシカのようにもなれない。表現している優しさと強さの半分も本当は持っていないのかもしれないし、命を掛けたいと願っているだけで実際にそんな勇気はないのかもしれない、強さも優しさも身につけるなんてどんなに頑張ってもできないよってどこかでは諦めているのかもしれない。でもわたしはそうなりたい。生まれるまえからずっとそうだったに違いないと疑わないことがある、絶望や悲しみや怒りの中に生まれたわずかな希望は触れた相手にちゃんと伝わっていくということよ。「いのちは闇の中のまたたく光だ」、わたしはたとえ大勢の命の終わりに心を殺しても、たったひとつの命が続いていくことに涙をながしたい。自分の悲しみに泣かなくなっても、誰かの悲しみのために泣いていたい。わたしはいつまで、そこに居るだけで大事な人をすくえるほど無垢な存在で居られるだろうか。わたしは、わたしを信じてくれる人のその尊い気持ちを大事にしたい。誰かの中の、一番優しいひとに、一番強いひとに、たった一瞬でもなっていたい。本当はそんなに神さまみたいな人間じゃなくても、この瞬間を、この幸福を、いつか忘れるのだとしても、かまわない。愛しさや憎しみや切なさや悲しみや哀れみや穢さや潔さを思い出すための、生まれた感情のすべてを引き出すための、記憶の一片になったって、かまわない。過信だと言われたっていい、わたしは、自分にあたえられた力を信じていたい。自分の中に眠っている、どんな恐怖にも打ち勝っていける強さを信じていたい。
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