Nさん

風の谷のナウシカのNさんのネタバレレビュー・内容・結末

風の谷のナウシカ(1984年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

こんなにも面白い映画だったのかと驚いた。
子供の頃見たときは、ほとんど内容を理解することができず、ただただ怖くて難解なイメージしかなかったから余計にそう思った。

恐怖が攻撃に繋がり、攻撃が攻撃を呼び、一度始まってしまったものは、もう誰にも止めることができないから、滅びるまで攻撃し続ける以外の選択肢がなくなってしまう。
しかし、本当にそれが正しいのか?
それ以外の道はないのか?
誰も傷つけずに解決する方法はないのか?
と模索するのがナウシカだった。

ナウシカは、決して怒りに力で対抗しようとはしない。
まず最初に、自分に攻撃の意思がないことを示せる勇気のある人だ。
その誠意を受けて、人やオーム、森の虫たちは心を開き、ナウシカを信じて攻撃をやめるのだと思った。

でも、ナウシカも神様ではない。
父上を殺された怒りで我を忘れて、トルメキアの兵士たちを皆殺しにしてしまったシーンでそう思った。
オームや虫たちと同じ心の動きだ。
その気持ちにずっと支配されないでいられるのは、ナウシカが強くて勇気があって聡いからだ。

ユパ様もまた、自己犠牲をかえりみずに自分に攻撃の意思がないことを示せる強い人だった。
その強さに懐の深さと優しさが宿るのだと思った。

ペジテは、怯えが勝ってしまったようだ。
その怯えが、オームの赤ちゃんを痛めつけて吊し上げておとりにするなんて残酷な行動に繋がってしまった。
そして、なんの罪もない風の谷を犠牲にしようとした。
でも、それはペジテの国を守るためだったのがやるせない。
巨神兵が機能して戦いが始まってしまったら、やりたくなくてもやらなきゃいけないと思考停止するべきじゃなかった。

巨神兵は、核兵器のようだと思った。
ペジテは、トルメキアなど他国に対しての抑止力として巨神兵を手に入れようとしていた。

トルメキアは、巨神兵を活用して、悪いもの=腐海を焼き払い、世界を良くしようと考えていた。というのは、口実なのかなと思った。
巨神兵を戦争に使って、他国を従えようとしている的な言葉もあった気がする。

巨神兵を巡って争うことは、全員の破滅に繋がる。

そして、オームは焼いても焼いても死ぬことはなく、力で対抗するのは無意味だとわかる。

最初、ナウシカは、下着を履いていないのかと思ってびっくりした。
白いズボンだった。

ユパ様がペジテの飛行船に飛び移っていくところがかっこよすぎた。

ナウシカさんは、強くて、可憐で、美しかった。

悪役が女性なのも良かった。
怖がりな人だなと思った。

久石譲の曲が良すぎた。
鳥肌がたった。

おじいさん3人組がコミカルで可愛くておもしろかった。
ユーモラス。

ナウシカがマスクを外して、おじいさんたちを安心させる言葉を伝えたところで、思わず自分の口をマスク越しに抑えてしまった。

昨今のウイルスに、どうしても重ねて見てしまう。

最後、言い伝えの人物はナウシカのことであると判明したとき、なんとなくわかってても、ハッとして少し泣きそうになった。

腐海は、人間が汚した地球を綺麗にするために存在しているので、人間が腐海を焼き払おうとするのは、まったくの間違いだとわかる。

ナウシカの地下室には、毒胞子を出さない腐海の植物たちがたくさん存在していて、とても綺麗だった。
汚れているのは土で、水が綺麗ならば毒の胞子は出ないらしい。

腐海は、汚れた土を綺麗にする代わりに、毒の胞子を出しているだけだ。
そして、綺麗になった土は、水があった地下空洞のところへ落ちていく。
森を綺麗に保つために、オームは腐海を守っている。

なのに、人間は森を焼き、オームを焼こうとする。
オームの怒りはもっともで、人間の勘違いが招いた争いなんだなと思った。

中盤の、ナウシカが初めてオームの触手に包まれて、オームに調べられるシーンがかなり好きだ。
麦畑?や木漏れ日のシーンが綺麗だった。
あの世界の中には登場しなかった美しい自然の光景が急に現れて、心をグッと掴まれた。

そして、この現実には、まだ美しい自然が存在している。
帰りに公園寄って行こうと思った。
Nさん

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