三宅唱監督が映画を撮っている世界なら、生きていても良いなと思えた。そして、夜明けのすべてはなんか良い映画だったね、と余波が広がっていく世界だったら、息をしていられる。
三宅監督の作品を見るにつけ、映像作品ってこんなことが出来たのねと思う。フィルム撮影が空気や陽光を捉える点もそうなのだが、今回は優しさって包んで届けられるのか、ということに感じ入った。それも押し付けがましくなく、特別でもない日常の中で。じんと広がるもの、それを何となく共有してる客席の空気は、温かいお湯のようだった。前作で際立った音声の魅力もそのままに。セラピー的な映画だという感想はその通りで、こういう丁寧さのある映画って心に触れるのだなと思う。
主演二人の振る舞いや声などのすべてが良いのは言うまでもなく、主音声でもないような、何ならガラスの向こう側に居る同僚たちが相当に良い役割を果たしている。脇役まで脇に追いやられていない映画。何を描きたいのか、そこに存在するのはどういう人たちなのか、という点に対して、現場に深い理解が存在することを感じさせる。彼らに向けられるカメラの心理的/物理的距離感もちょうど良く、そこにある日常を切り取ったドキュメンタリーに近い。たぶん放送部の二人がもう少し大きくなったら、きっとこの映画の風景が撮れている。