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地球爆破作戦のRのレビュー・感想・評価

地球爆破作戦(1970年製作の映画)
3.9
内容に合ってなさすぎタイトル笑 全然地球爆破作戦じゃないです。舞台は冷戦期、アメリカ、自国と世界の平和を守るため、敵国からの攻撃やその兆候に対して自動的にミサイルを発射するコンピュータシステム「コロッサス」が開発される。コロッサスは、ついでに国家のあらゆるシステムを自動的に管理してくれるので超便利。同じ頃、ロシアでも似たようなシステム「ガーディアン」の完成を発表。すると何と、コロッサスはガーディアンとリンクされることを望み、互いの国家機密が相手国に流出するのを恐れる政府は、そんなことはできぬ!とお断りするのだが、ならばミサイルを発射するぞ、と脅迫、要求を無視した人間を支配下に置くべく、両システムは人間的躊躇なく、さらっとミサイルを発射。リンクを許可することで、アメリカ側は何とかミサイルを迎撃、ソ連側はコンビナートを爆撃をされてしまう。というわけで、同じ問題を抱えてしまった米国とソ連は何とかして支配力を人間の手に戻そうとするのだが……というお話。主人公はコロッサスを開発したフォービン。はじめはその出来に満足していた彼が、次第にとんでもないものを作ってしまったことに気づき、遂には24時間コロッサスに監視される生活を強いられる。そのなかで、いかにコロッサスに気づかれることなく対コンピュータ工作を行うのか、そのアイデアがセクシーで面白い。顔は普通のおっさんやけどヌードのボディはかなりキレイでした。役務遂行にしか興味のなかったフォービンが、この作戦を実行するなかで、次第に人間らしい感情を取り戻していってるな、と思わせるところがとても興味深い。コロッサスとフォービンのやりとりは大体怖いんやけどコミカルなとこも少々あり、あ、それは許してくれるんや、みたいなんにクスリ。けど、スクリーンにあらわれる文字を通してだけだった会話が、いよいよ音声機能を追加したあとはとても不気味。声の無機質さがゾッとくる。あとこの当時のSFに多い傾向な気がするんやけど、すごく画面が殺伐としてて、どことなく狭苦しい、窮屈な圧迫感がある。昔の人は未来ってこんなに息苦しい感じになるかもしれんぞ、って思ってたってことやんね? 比喩としては正解! 人間の自由がどんどん矮小化していってる現代を考えると、この映画が作られた当時は、かなりいろいろ自由度が高かったと言えるし、まさに予見は当たってた。皮肉なことにぱっと見の印象はぜんぜん今のほうがリベラルやし、コロッサスみたいな明確な物理的支配者はいない。けどもっとタチが悪い、民衆の心の中に内面化した支配者が茫洋と存在してる。まぁそれはさておき、本作の面白い点は、コロッサスの支配通りに即座にマシンのように従う日和見人間が多くいる一方、どれほど絶望的な状況に置かれても、コロッサスの支配を認めてしまいたくないと、フォービンが感じてるところだと思う。コロッサスの支配を認めたら、確かに世界平和は訪れるかもしれないというのにね。コロッサスの最後のスピーチはとても興味深い。でも、結局ほとんどの人間は、自尊心を傷つけられながらも、組織のなかで、他の人間に支配されることをよしとして暮らしてる。その状況に無理矢理自分自身を慣らしていく。て考えると、何とも陰鬱なエンディングですね。さて、またまた最近AIブームが来てるけど、やっぱ重大な選択の最終決裁は、数値やデータだけでなく、人間の良心に委ねるべきだと思うし、人間の良心というとんでもなく抽象的なものを、いかにうまく発揮していけるか、それこそがもっともっと研究されるべきなのではないかな、と思いました。
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