【マルチバーストルコ嬢】
Netflixの新作。私はトルコ映画ほとんど見ておらず、ましてやコメディって多分、初めて。
悉く、かゆいところに手が届かない展開で、消化不良な出来事も残してしまうが、それでも、リメイクというコトを含め、興味深い体験となりました。
ベリンダとはヒロインや登場する女性の名前ではなく、トルコ風呂で使うあるモノの名。
あらすじ紹介にも出ているから少々書くと、野心満々の若き舞台女優が、嫌々受けた“良妻賢母”を演じるCMの撮影をしていると、その描かれる世界に飛ばされてしまう…て、お話。
ネタはあるあるだけど、現代トルコ女性の生き様を問える、とても面白い装置だと思った。
1986年版は未見だが、今リメイクされる程の面白さは当時、詰まっていた筈。が、どうも本作の展開・オチだと、トルコ女性の立場はオリジナル当時と大して変わっていない…と結論づける、ディストピア・コメディに仕立てたかったように思える。それでいいのかな?
好きに生きられる女性がいる一方、保守の束縛から出られぬ女性も居る。前者を主人公に、後者の生きづらさを叩く構造だが、その生き方に双方とも、魅力を感じられないんだよね。
ヒロインはずっとピリピリして、舞台女優としての成功しか頭になく、“良妻賢母”の異世界生活は嫌悪するのみ。で実際、描かれる主婦暮らしは苦労ばかりで、喜びが想像できない。
これじゃそもそも、物語として魅力あるものにはならないと思うんだけど。
イントロからして違和感。ヒロインは舞台女優というより、性的魅力を振りまく、あまり巧くないミュージカル女優に見える。演出がなんちゃってインド映画みたいだし。
現代トルコ美人ってこんなかーと見惚れるヒロインの美貌。トルコ映画ってこんなセックス描写OKなんだ!という驚き、等、ムスリム男性優位社会だろうに自由度高いねー、と感心するポイントは多々ありました。Netflix映画だから実現できた気もするけれど。
でもやっぱり、設定の面白さを活かしきれぬもどかしさは、解消されない。それとも、こうやって女性が損するような纏めにしておかないと、映画化が実現できなかったのだろうか?
“演じる”ことの魔力や矛盾などにも、もっと彫り込める素材だったと思いますが。…残念。
ヒロインのネスリハン・アタグルさんて、トルコ版ミーガン・フォックス、という趣があって、私は好きです。
<2023.4.18記>