映画大好きそーやさん

ミッシングの映画大好きそーやさんのレビュー・感想・評価

ミッシング(2024年製作の映画)
4.2
喪失の只中で。
実は、8月1日に観ていたのですが、今の今まで寝かせておりました。
書きたい気持ちはあったのですが、鑑賞した後はかなり食らってしまっていて、時間を空ける必要があるなと、感覚的に本作のレビュー執筆を避けていました。
時間も経ち、今なら向き合えるのではと思えたので、恐る恐る書いていきたいと思います。
前置きが長くなりましたが、私の本作に対する評価は、最高に最低な気分を味わえるヒューマンドラマの傑作です。
𠮷田恵輔監督作を本作を鑑賞するまで1本も観たことがなかったのですが、あまりの凄まじさから一気に監督の虜になりました。
わざわざU-NEXTに登録して『なま夏』を観た後、レンタルで『ヒメアノ〜ル』も借りて観ました。
あらすじを読んで気になった『ばしゃ馬さんとビッグマウス』はサブスクにもレンタルにもなかったため、DVDを購入しました。
今書いた通り、全く興味がない状態から過去作を追っていきたいと思うくらいには、𠮷田恵輔監督作にハマってしまいました。
監督の作り出す狂気と笑い、曝け出された人間の奥底にある混沌は、自分の琴線に触れるどころか、かき鳴らすほどに共鳴していました。
さて、内容について1文も書いていないにもかかわらず、相当な文量になってしまいました。
今さらながら本作の概要をまとめますと、行方不明となった娘の美羽(有田麗未)を捜し続ける母親の沙緒里(石原さとみ)、父親の豊(青木崇高)の愛と崩壊を、沙緒里の弟である圭吾(森優作)との関わりを交えつつ描いたヒューマンドラマとなっています。
本作を鑑賞している時間はずっと息が苦しかったです。酸素が薄いんじゃないか、自分は今、実は死んでいるのではないかと錯覚させられるほど、観客は夫婦の直面する悲愴な現実に心を抉られていきます。
私たちの心へのダメージを最大限高めている要素として、誰しもが指摘している石原さとみの、演技には思えない演技があります。
全編そういう人にしか見えない演技で、娘のことを思い愛するあまり、どんどん心が擦り減っていく様が痛々しく、鋭く私たちに迫ってくるのです。
直視していたら、気付かないうちに目から血が流れてしまうような気がして、私自身何度かスクリーンから目を逸らしている瞬間がありました。
そのくらい絶大な存在感と実在感をもって、石原さとみがスクリーン、並びに劇場の空気を支配していました。
本作は全編に渡って石原さとみの快演が光っているのですが、その中でも特に印象に残っているシーンを1つ挙げておきます。
ネタバレにならないよう紹介しますので、ご安心下さい!
とある出来事を経て、言葉にもならない大声を上げるシーンがあるのですが、その時の石原さとみは心が壊れた沙緒里以外の何者でもありませんでした。
映画を観ていて、このような俳優が突き抜けたシーンは滅多に観られないと思います。
そういった意味でも、この映画は大いに観る価値のある作品だと言えるでしょう。
キャラクターつながりだと、特に圭吾に感情移入をして観ていました。
圭吾は、外見や言葉少なな様子から周囲に勘違いをされ被害を受け、剰え沙緒里にさえも強く言われる始末でした。
あそこまでではないにせよ、私にも同じような経験と言いましょうか、似通った状況には何度も陥ったことがあり、圭吾のことを沙緒里の次に応援しながら見ていました。
疑惑の目は作中の人々だけでなく、自然と私たちにも芽生え、だからこそ後半にいくにつれて、圭吾への感情移入度が高まっていったように感じます。
窓越しで何事かを喋る描写も、彼の立場を暗喩的に示すようで良かったです。(TVの取材陣である砂田(中村倫也)が、同様の行動を取っていたのも興味深いポイントでした!本作は、マスコミの闇を暴くような側面もあり、砂田の存在がマスコミの描き方を紋切り型にしない捻りとしてよく機能していました)
圭吾が終盤で辿り着く展開には、笑わされながらもしっかりと泣かされた私でした。
是非まだ観ていない方は、圭吾に降りかかる災難と、彼自身の内に秘めた思いに着目して鑑賞してみて下さい!
また、本作は「他者という立場の無関心」とも言うべきテーマ性が、最初から最後まで貫かれていた作品だと感じました。
多くの人間は自分のことで手一杯のため、他者を思いやって行動できている人は少ないと思います。
行方不明になってしまった人を捜すためにビラを配るも、受け取ってくれる人は極小数で、さらに言えば興味本位で受け取る人もいる。当人たちにとっては、何よりも大事なことなのに、ネタになるからと近付いてくる輩もいる。感傷に浸らせる格好のネタならば、受け手に泣いてもらうための姑息な演出も厭わない。外野であればあるほど自分とは離れるから、好き勝手なことを言うことができる。事情を知らなければ、どこまでも強気になれる。
ここに書いたことはほんの断片で、他者である、その安寧で提示されていく残酷さに、眉間の皺が深くなる一方でした。
そして、他者だけでなく当人たちも時間が過ぎていく中で価値観が歪んでいき、他者に影響を受け変わっていってしまうのも、また辛いところでした。
下劣な演出に媚びを売り、諦観の念で似た境遇の者が救われる様に涙する。文字通り魂を売ってさえも、ただ愛娘を胸の内に抱かんとする。
愛の重さと、その愛が反転していく怖さに、そうだよな……いや、そんなこと……いや、でも!と頭の中でグルグルと考え続けてしまう破壊力がありました。
最後に、脚本が優れていた点についても触れておきたいと思います。
冒頭で確信犯的に挿入される美羽との楽しげな遊び風景、長々と見せられた上で唐突に時間が飛び、喪失の只中へと突き放される。この落差にやられるファーストインパクトがあり、それから思い通りにいかない捜索活動の様子が描かれ、夫婦の限界が近いということがホテルのシーンでより明確に浮かび上がってきます。
重要なモチーフとして印象的に映されていたリップロールの反復が意味する部分に、開けた解釈と自分の折り合いが重なり合う。この映画的多幸感と罪悪感にも似た悪感情は、本作特有の鑑賞後感のような気がしました。(今にして思えば、『セブン』的な鑑賞後感とも言うことができるかもしれません。あくまで私の解釈においてはですが!)
撮り方としては、オーソドックスなものが多いように感じましたが、無駄な雑味がないことでストレートに沙緒里たちの心情が伝わってきました。
ただ繰り返される描写も多く、冗長に感じる部分もあったかとは思います。
主題を語る上で、オチはある程度決まっているため、その過程においてダレが生まれてしまうのは仕方のない題材ではあったと思いますが、個人的には少し気になる部分でした。
とはいえ、あとは全体的に高クオリティで見応え満点な作品だったと思います。
総じて、石原さとみを始めとした俳優陣の快演が光る、喪失の只中に居場所を見つけるまでを描いた、素晴らしいヒューマンドラマでした!